戸張孤雁氏『北米美術學生々活談』
『みづゑ』第三十九
明治41年7月3日
米國で美術學生が或技術によつて生活を支へ苦學するには、通學の餘暇メヌーカード、肖像、挿繪等を畫くのであるが、渡米前にそれ等のうちの一を選び研究してゆくと便利である、そしてメヌーカード畫きが一番得策のやうに思ふ。
メヌーカードとは料理屋の献立用紙で、多くは水彩繪具を用ひて草花等を畫く、日本畫を應用して一筆にて描き上げ、彼地の畫工の出來ぬことをせねばならぬ、凡そ五六ケ月も稽古してゆけば生活には差支あるまい、但し毎日新意匠を要す。次に肖像畫は好奇心から注文を受けるが、メヌーカードのやうに常に仕事が絶えずあるといふことは請合へぬ。次には木彫法を少し習得してゐると家具類の修繕師として働くことが出來る。次に挿繪家として活動するのは中々有望の仕事で、此法を心得てゐると、廣告畫の請負雜誌挿畫の仕事が得られる。建築圖案及製圖等の仕事は素養のないものには出來ぬ。そして以上の働きには新聞雜誌の廣告を利用すれば容易に得らるゝ。
其他にランプ笠の模樣畫きといふ仕事がある、日本畫を應用して草花類を畫くので、色彩の配置を心得てゐて、參考品を澤山持つてゆけば容易な仕事である。それで米國には美術苦學生が澤山あつて、紐育のみでも日本人で七名も居た、中には仕事の傍ら勉強して成功を告げ、同時に貯蓄して尚ほ歐洲に渡航した人もある。(戸張孤雁氏『北米美術學生々活談』渡米)