版のなぐさみ 『エツチング』
山本鼎ヤマモトカナエ(1882-1946) 作者一覧へ
山本鼎
『みづゑ』第四十
明治41年8月3日
エツチングは通俗に『畫家銅版』とも云ふ。日本にては是を試むる人、畫家の間にさへ未だ尠けれど、歐米にては、畫家は大概エツチヤーなる由。レンブランドの版書の如きは最も著名にして、ウイスラー、ブランギン等又エツチングの名手なり。並の彫刻銅版と異る所は、其線の全く獨創を以て成され、複製的意味の毫末もなき點にあり。
諸君は最初にまづ、凹凸無き、厚さ五厘詐り、大さ適宜の銅板、若くは亞鉛板を求め來らる可し。次に其板面を朴の木炭にて磨き、更に砥の粉と白絞油とを以て、丁寧に上磨して後、酒精若くは石鹸水を以て、板面上の油氣を、名殘りなく洗ひ去らる可し。斯くして防腐剤の塗布に移る。防腐劑には種々あれども、エツチング、グラウンドとて、既に調劑されある蝋劑を最も便宜とす。こゝに諸君は酒精ランプ又は炭火を以て、先きに磨き置きたる銅板を熱し、能く其蝋劑をして板面に溶かしめ、溶解の適量をまつて、板面上に皮ルーラを轉がし、防腐劑をして、むらなく全面に藉き展べざる可からず。是にてグラウンドは調ひたり、されど此防腐劑の色はあまりに薄くして、彫刻に不便なれば、酒精ランプの焔、又は新聞紙等を燃し、其煤色を以て、板面を染めらる可し。斯くて諸君は、整理されたる金屬の畫布と、彫刻針とを携へて、直ちに愛する所の自然に對ひ、線の美趣と濃淡の不可思議を鐵筆の尖に敏活に捉え給ふ可し。其心持は鉛筆畫ペン畫を畫くと相似たり。たゞ特に留意す可きは、エツチングは凹版なりと云ふ事なり、板面に刻まれたる凹線は、印刷の後鮮明に黒印せらる。即ち木版とは正反對なり、且つ又、一般の版と同じく、畫は板面に左に刻まれざる可からず、此處に又少からず困難あり、ゼラチン紙に針をもて、輪廓を透き寫し、紅穀を埋めて轉寫する方法はあれども、こは據所の原畫ある際にのみ用ひらる可く、自然を直接に寫さむとする時の役には立たず。諸君は宜しくホワイト水繪の具、若くはインキ等を以て、左寫しの困難を耐え給ふべし。然らずむばエツチング用の反射鏡を購ひ給へ。彫刻了らば次に來るものは腐蝕なり。腐蝕液は、銅には鹽酸と蒸餾水、或は鹽化鐵に蒸餾水、亞鉛なれば硝酸に蒸餾水、分量は腐蝕の強弱、其欲する所に從ひ加減せざる可らず。強水強ければ線太く、弱ければ線鮮くに細くなる可し。又或る部分を強く、或る部分を弱く腐蝕して、線に變化を得むと欲するも自在なり。然するには、腐蝕を欲せざる部分に、エツチング、グラウンドを塗りて防腐せざる可らず。此蝋劑は、豫め他の不用の板面に延し置き、剛き毛の筆にテレビン油を浸して、適宜に溶き用う可し。線の太細は、單に腐蝕の強弱に由るのみならで、はじめ彫刻針の銅を刻む事の深淺にもよる。要するに線の粗密太細は、對象の差異に從ひ、又諸君の趣味に由つて、各自物々欲する所を異にするものなれば、試驗を重ねて得悟するの他はあらず。製版全く了らば、テレビン油にて防腐劑を洗ひ落すべし。斯くして次に來る樂みは印刷の結果なり。諸君は便宜の銅版或は石版の印刷所に馳せて、刷版の技術を試みざる可らず。他の版と異り、エツチングに於ける刷版は、一種畫的興味を以て從事せらる。諸君試に多くのエツチング版畫を展き見よ、本紙に載せたる拙作の如き、單なる線の濃淡以外、別に細微分子の巧妙なる濃淡を構成する事、宛も幾度か刷り重ねたる砂目石版の如くなるものを發見すべし。是れ悉く刷版上の技術なり。其暗き部分は、肉の分子を多く止め、其最も明るき所は、全く肉の分子を拭ひ去られたる部分なり。即ち先づ、版を酒精ランプにかざして熱を求め、指頭にエツチング用の堅き肉(石版インキにてもよし)をとりて、版面に摺り込まんに、肉は線溝に埋まり、又全面に附着す可し。次に鹿皮、若くは木綿を球にしたるタンポンを以て版面を輕く拭ひ、又強く拭ふ可し。其強弱の案配によつて、印畫に濃淡の變化を現す。又高光は、白チヨークの粉を着けて拭ふ可し。但し斯の如きは、線以外に濃淡の調子を欲する畫に用う可き印刷法にて、たゞ線のみを印さむとせば、全面、白ヨークの粉にて拭ふべきものとす。さて、斯る肉付けの細工を了らば、直ちに傍に濕しおきたる(濕すには濕りたる吸取り紙の間に狹みおくをよしとす)用紙をとつて(用紙は木炭紙唐紙鳥の子等面白し)版面に伏せ、印刷機のロールにて壓刷すればこゝにエツチングの版畫は成る、其線溝に埋れたる肉は、縫箔の糸の如く紙面に凸き出して、堅く鮮かに印畫せられたるを見る時、諸君は充分にエツチング版畫の趣味を感得せらるゝであらう。彫刻用器は左の通りである。
一彫刻針(佛蘭西針)一本(七號位がよし)
一銅板又は亞鉛板
一皮ルーラ一個
一エツチンググラウンド一個
一油砥(了り)