寫生に就て(第三回水彩畫講習會に於ける講話の大要)
石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ
石川欽一郎
『みづゑ』第四十一
明治41年9月3日
▼寫生のやり方など人によつてそれぞれ違ふものであるが、孰れが一番よいと言ふ事は言へぬ。規則は大タイの範圍を示すに過ぎぬもの故、諸君はそのうちの一道を選んで進んでゆかれたらよい。
▼人によつて寫生の方法など違ふのは、やがて其出來た繪に相異を來すのであつて、甚だ面白い事と思ふ。誰れの繪も同じゆき方で、同じやうな繪が出來たのでは一向詰らぬ。
▼是から私の寫生のやり方を土臺として、諸君のために一寸其方法をお話する。
▼重い道具を擔いて位置を探して歩行くのは愚な話であるから、私は前日に一通り見に歩行く、そしてあまり位置を選擇しても際限がないから、大テイの處で極める、勿論一日のうちに景色に變化のあるものであるから、朝見てよいと思つた處は朝、午後は午後といふやうに、其時に應じて前日選んだ處を寫す。
▼諸君が位置を選定するには、一度誰れか先輩の描いた處、又は臨本や何かで見たそれに似よつた處をとるとよい。そのやうな場處は、大概無理がなくて繪になる場處である。
▼まづ畫面に水平線を極める。水平線とは自分の目の高さと同一のもので、自分が高い處に居れば高く、低い處なら低い。これが極まると繪が動かない。
▼一の畫には、水平線は必ず一つに限る。それでは何處を水平線としたらよいかと言ふに、普通畫面を三分して、其三つの中央の範圍内にとる方がよい。畫面の中央ではいけぬそして、自分が高い處に居れば畫面の上の方に、低い處なら下の方といふのが普通のやり方である。
▼位置が極まつて色をつける。私の持つてゐる色の種類は、黄、赤、青を大テイ等分にしてゐる。タトヱば十二色とすると、何れも四色宛で、黄ではガンボーヂ又はオーレオリン、エローオークル、バアントシーナ、インヂアンヱロー、赤では、ヴァーミリオン、ライトレツド、クリムソンレーキ、ブラオンマダー、青では、インヂゴー、コバルト、フレンチブルー、サイプラスグリーンのやうなものである。
▼寫生といふものは、刻々移りゆく自然の現象を捕へるのであるから早い方がよい。私は輪廓をとつたら(急ぐ時は輪廓もとらぬ)一番手勝手のよい處から始める。まづ空を塗り。遠山を塗り、地面を塗る。そしてその生乾きの時に、雲や、遠山の皺、森の影等を描く。かゝる處は乾いてから塗ると硬くなるから濡れてゐるうちに塗る。水彩畫は濡れてゐるやうな感じの面白い味のある性質のものだと思ふ。乾いてから描いて後に洗ふ方法もある。ドチラでも同じ事だが、私は前述べたやり方である。
▼繪に蔭と日向のあるのは面白いもので、何れか一方では詰らぬ。蔭と日向が一枚の畫に同じ程の領分を占めてゐるのはいけぬ。何れか一方が多く、一方が少ない方がよい。
▼日向の色は割合に單純で描き易い。蔭は複雜でムヅカしい。蔭の中には種々な色を含んでゐる。
▼それで、前に言つたやうに、一通り色をつけてから、蔭の部分を塗つて仕舞ふ。それは何れも透明色で、ニユートラルチント、ペイニスグレー、インヂゴー、ブラオンマダーのやうな色である。
▼斯ふして一色で蔭を塗つて置いて、今度は乾いてから、前方に見える自然の色を描いてゆく。そして段々に仕上げてゆくのである。
▼次に添景人物のお話をします。
▼景色に添景人物をつける其必要は、物の比較がよく判る。タトへば、大佛を描くとか、仁王を描く時、其前に人物を置くと、大佛や仁王の高さが判る。
▼次は景色を賑やかにする。景色によつて淋しくさせる必要のある場合は別として、人物を添へると其繪が賑かになり。着衣の色等によつて變化を與へることが出來る。
▼次は線に變化を與へる。直線ばかりの寺の縁の上に、四五人の小兒が遊んでゐると、線の關係で非常に面白くなる。
▼まだ澤山必要の點もあるが、すると此添景人物は繪の何處へつけたらよいかといふに、私が前に譯したイースト氏寫生談中の搆圖(みづゑ三十八、三十九參照)といふ項にある、あの方法がよいやうに思ふ。
▼人物の高さは、地平線に人の頭をかいて、前の人は段々脚の方を長くすれば大テイ間違はない。勿論除外例はあるから、寫生の時注意して形をとつて置たらよい。(完)