色彩應用論[八] 寫生(自然界の色彩の研究)
榕村主人アコウムラシュジン 作者一覧へ
榕村主人
『みづゑ』第四十一
明治41年9月3日
自然界の風景を正格に寫生するといふことは殊に初學の人の勤めて爲すべきことの一つである。サー、ジヨシユア、レーノーズ曰く、『人間生涯の大部分は天才實践の材料蒐集に日も維れ足らざる底のものたることは明確なる事實である。詮ずるに、發明も記臆中に蒐集貯蓄し置いた想像の新結合に比べて較優れるものに過ぎない。有より無の出づべきやうなく。材料なくして製作物を爲すことは出來ない。充分なる觀念と老錬なる手腕とを有する藝術家にして初めて製作物を容易に作製することが出來るのである』寫生には順序と方法を良く定めて置かねばならぬ。これがないときは徒に時間を費したり、結果が不良に了る憂がある。
さて自然を寫生するに當つては、最初は先つ目的物の選定が肝要である。可成輪廓の簡單な物で、光部と、暗所の好く分かる物でなければならぬ。此場合は色彩よりは形が大切である。自然研究の第一期ともいふべきは、手近の物を寫生するにある。例之ば井戸側、馬槽、岩石、藁家、木の幹、土手等皆これ初學者の好題目である。で皆前景にあるものとすれば、空氣の遠近や色彩の混雜の困難は起らない。斯樣なるものゝ稽古をしてから、前景植物即ち牛蒡、★冬等を寫生する、これは土手或は岩石等にあしらつて形と色との變化を與へ研究するので、ある。これ等を了ると道や樹木と共に木の葉の一團や田舎家、橋等を寫生するが可い。如斯に研究を重ねると物の形や陰陽の如何も了解し、また偶然の陰陽の影響で色彩の變化のあることも知れて來る。その物の性質や外觀を精細に知るに至るから、例令遠方にあつて空氣の爲に知れぬやうなものでも一目にして分るやうになるのである。次には前景と連續して居る中景の諸物を描く力を養ふにある。中景は空氣の作用によりて色や陰の變化するものであるから、其邊を能く研究せねばならぬ。終に至りて山岳や遠方の淡い調子を研究して、風景全禮の空間と壮大とを現出して、また仝時に陰陽の影響に依て色彩の變化する樣をも寫生するのである。
初學のものは、偏しない眼と、諸大家の傑作より得來つた良好なる趣味とを以て自然界に對さなければならない。また仝時に運筆の力も養ひ、彩料の性質等も能く了解して居らねばならぬ。諸物を研究するにも、唯一例に依らずに、其位置、氣候、日中の時間、等の變化に於ける諸例に依らねばならぬ。仝じ結果の仝じものを繰返して研究することは比較的に容易の業ではあるが、これに依て得られる利益は甚だ少い。一定の時や氣候に、木の葉一枚毎に或は木の幹を一本毎に繰返して描くのは、木の葉に就ての眞の観念を得る道ではない。多くの種類の樹木を常に注意して研究せねばならぬ。一流の描法を墨守することは斷じて避くべき事である。
繪畫の總ての部分を、宛ら廓大鏡に照らして見るが如くに、忠實に描出するといふのは、藝術の士の領分ではない。樹木の色は常に緑で錬瓦の色は常に赤であると考へるのは藝術の上からは謬見である。光線、空氣、空間の影響をも併せ研究せねばならない。また繪畫中の諸物には、自然を視て一瞬間に得來った相對的の價値を描出するに勤めなければならない。
自然の色彩を研究するには、純白の紙と濕製繪具を以て、大に注意して常に大きく描くにある。ヘードン氏の自叙傳に肖像畫に就ていふて居ることが、風景畫にも利益あることであるから左に抜萃する『常に大畫に筆を振ふて居たものは常に小畫をのみ描いて居るものよりは、小畫を描いても力量が優つて居るものである。大作で部分的の研究が出來て居れば小畫の全體は容易なる理である。大作家が小畫を描くにはその智識を壓するのであるが、小作家の大作をするのは、その智識を擴張するのである。ルーベンスが小作その他諸名家の小作が皆秀逸なのはこの理に外ならぬのである。』
自然を模寫する目的で興味ある研究をしやうといふには、スケツチの裏か、手帳へと、覺書をして置く習慣をつけるがよろしい。この覺書は形、色、或はエフエクトの或特性を手早く明確に、しかも簡界に寫すのである。かくして置くと後に至りて、鉛筆や彩筆で不完全に描いてある處に明な説明を得るので、大いなる補助を得るのである。また手帳の用は、畫題の組立を數線で描いて置き、または光部と陰所を手早く記して置く必要がある。(此項完)