圖案法概要 三、圖按と繪畫との區別

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比奈地畔川
『みづゑ』第四十一
明治41年9月3日

 諸君は屡々光琳の繪を見たことがあるでせう。同じ日本畫ばかり見て居る眼でもどうやら趣が變つて居る。まして、漆工などに應用されてるものが多い故、直ちにこれが圖按であるかの樣に思ふてる人が澤山ある。即ち光琳の繪が圖按で、應擧とか探幽とかいふ人が繪畫であると思ひ謬まつてる人が隨分と多い、(無論光琳は日本の大意匠家であるけれども)が、決して光琳の繪が圖按であるといふわけのものじやない、彼が繪は純然たる美術的の繪畫である、(特に圖按として描たものは別であるが)それを工藝品の上に應用したのは、彼が作品の最もよく工藝品の品位價値樣式などを作る上に適合恰當したからである、更らに云ふと、繪畫を施すべきものゝ材料が、絹、紙か竹、乃至漆、膠、牙、角の樣なものであらうが、繪畫はどこまでも繪畫である、つまり繪畫として描たものでも、それが中途で、ある工藝品に應用せられた爲めに一の圖按となつたのである。
 つまり、圖按は種々なる模樣や形式や色彩を表はすところの下圖であつて、織物や、磁陶器や、其他百般の工藝品に應用すべきものであつたとしたならば、それが繪畫であらうと模樣であらうとその目的は達するわけである、またその範圍は極めて自由なものでなくてはならない。
 然し、西洋人の眼から初めて日本畫を見た時には、一種の装飾畫意匠畫としか見えないさうである、或は、その抽象的な筆法や色彩や、簡略な筆致を以て成されてゐるところは、或はさう見えるかもしれない、けれども日本繪はどこまでも一の純然たる繪畫であり、圖按は別に獨立した圖按である。或は無理に日本畫は圖按的な繪畫などゝ刳ぢ着けられるかもしれないけれども、圖按が決して繪畫の一部ではない。
 尤も、爰に繪畫と圖按、或は圖按と模樣などの區別を、劃然とつけることはなかなか六ケ敷いことであるし、且つ亦、年代や、我國や、習慣や、嗜好や、系統やによつて甚だしい差違がある、然し、こゝに兩者に付て著るしく相違してゐる點があることを記憶しなくてはならない、それは兩者の技術の比較でもなければ、鑑賞法の相違でもない、或は此二者はある程度迄は一致してゐるけれども、其製作の目的といふものは決して等しくない、即ち爰に一の圖按を作るとする、假りにそれを漆器製の盆とする、するとその盆は如何なる種類なるか、用途上の形式、大小、材質、色彩、或は線の配列、或は一園の様式、もつと細かく云ふと使用者の嗜好、價格迄も、豫め定めて初めてその盆なるものゝ製作に手を下さなくてはならない、それ等の注意を忘れたものは、それは圖按の眞の目的を達し得たものとは云へない。
 繪畫の方はさうじやない、用途を考へたり、形状や、大小や、色彩やを特に工夫する必要はない、況てや、樣式や嗜好や價格迄に拘はる必要はない、要するに、畫者の理想を可及的に發揮し得たものが繪畫の目的ではあるまいか、つまりより多く美であり得れば、其主要とする處の目的は足りるわけである。これが兩者の最も一致せざる點である。然し、かるが故に圖按は繪畫より劣れりといふ意味では決してない、兩者の手工的技術でも、作者の理想を表はすといふ點でも、困難の點と價値とを定むることに付ては優劣があるべき理由はない。
 寫實派だとか、印象派だとか名目は付けるけれども、繪畫は人間の理想を技術として表はしたるものに外ならぬ、自然の如何なるものを寫しても、それはみんな嘘た、自然らしくみえるのである、その間技巧上に云ふべからざる趣味をもつ、その嘘がおもしろいのである、眞に自然そのものゝ、形や色やを寸分違はず寫したのが繪畫の畢寛目的であるとすると、繪畫といふ者の成り立が一定してしまつて、興味も變化も趣味もないものになつてしもふ、古來幾千幾万の美術家が出て、一の山一の木を描くにしても、千人は千人、万人は万人、皆特種の技術を以てあるものを描き表はしてゐる、それ故美術の生命は保たれてるのである、自然を忠實に寫すといふことは一方からいふ言葉で、尚一面から云へば、自己の理想を描き表はすものであることを忘れてはならない。眞なるものに凝せんとして、個人の能技や個人の趣味を末にするやうな謬つた了見で繪をかいて居てはなるまいと思ふ。一般の藝術は、眞らしい嘘がおもしろいといふ言旨から如上の横道へそれたけれども、圖按もやはり嘘がおもしろいのである。繪畫の嘘よりも尚一層飛放れた嘘が、圖按のあるものではあるまいか、尤も細かく云ふと、幾何學的だとか、寫生的だとか、いろいろの名目に區分するけれども(此等も追て詳論す)、幾何學的にしろ寫生的にしろ、それ等から出た嘘の、形や、色や、線やの配合、統一、變化、配置、又は用途の適不適にも注意して作つた、人工的組織的の圖が圖按である。
 以上の言を綜合して云ふと、實用に重を置かぬ或る圖畫の如きは一見、圖按の如きもので、あるけれども、それは意匠的繪畫とも云ふべきもので、之を工藝圖按であるとは云へない。工藝圖按は其目的に依り、形状、色彩、模樣、或は製作上の嗜好、難易、又は用途上の適、不適にも注意した處の下圖である。繪畫は作者の理想を技術として可及的美ならしめんとしたものである。
 繪畫と圖按との區別は以上の樣であるけれども、爰にまた模樣と繪畫との區別に付て一言すると、繪畫は、理想派でも、寫生派でも、自然といふものを基礎として、一の繪を構成し、ある程度迄は自然の形状、感想、色彩を離れることは出來ないけれども、模樣は或る場合にょりては、色彩、形状、配置、配合等に於ても自然のそれ等より矛盾せる場合が澤山あるし、たとへ自然のそれより矛盾して居ても、形式や色彩として面白ければそれで許されて居るのである。例之ば春の鳥へ秋の草花を配するとか、赤い花を紫に描くとか、蔓の無い植物を蔓模樣にするとか、要するに變化と趣向とを貴ぶので、全然バツクなどいふものへは注意しなくても差支はないのである。それから、幾何學的模樣となると、全然自然の形状を借ることなくして、一種の模樣を構成することが出來るので、これも亦、隨分變化多樣であつて面白い圖形を作ることが出來る、即「面の分刻による線の應用」といふことになる、幾何學的形式は装飾の基礎及標準ともなるのであるが、追て詳論する順序となるであらう。(禁轉載)

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