第三回水彩畫講習會

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第四十一
明治41年9月3日

 ▼本年奈良に於て開催した日本水彩畫會の夏期講習會は、八月三日午前八時奈良縣師範學校に於て開會、當日は有志及初學の人のみ殘りて静物寫生をなし、他は戸外寫生を試み、翌日よりは、午前七時より二時間講話、九時より十二時迄戸外又は静物寫生、午後戸外寫生とし、夜分は時々美術雜話を爲すことにした。
 

水彩畫研究會例會

 ▼入會申込者は三府二十五縣に跨り、總數九十三名のうち俄に差支ありて缺席せられし人數名あり、實際の出席者は左の諸氏であつた
 田中太郎吉、竹馬利一郎、友田太郎、西勝一、北村定次郎、川俣敬直、衛藤熊太郎、長谷川曾一、中山巍、岸順一、寺田勇一、渡邊六郎、後藤百次、加藤一松、岡田實正、池澤義雄、生駒國次郎、濱田勝一郎、富田圭五郎、桑田義雄、影久良雄、藤田紫舟、入江芳一、佃永吉、京橋彦三郎、金田豊、水谷藤太郎、吉田豊、益永次一郎、關谷慶三、森田道雄、竹下一郎、澤田宗吉、増田正史、小林平治、窪田琢三、水野憲成、佐久間準三、後藤博、森田平次郎、西久保芳太郎、保田誠治、寺田季一、藤久みつ子、日野松太郎、石田義一、西松亮三、高瀬猪一郎、堀内安次郎、藤井常三郎、薄浩洋、薄政太、菅井粂次郎、橋本寛季、許山正生、小林龜之助、野口渉、高橋俊治、三浦玄良、星合了譲、橋本精一、中尾正幹、藤枝善造、松村實成、西村三作、瀬野覺藏、吉村元造、平野虎吉、中村義夫、志摩永太郎、近藤園次郎、瀧本得之、宇田多村信雄、高橋文藏、堀尾秀司、堀池市次郎、吉田抱春、飯田宗吉、宮地五十五郎、野本文雄、和田義龍、以上
 ▼會員の身分は前年と大差はない、學生、中小學校教員、實業家、官公吏等にして、年齢は十四五歳を下として四十歳位迄で、最も多數なのは二十歳前後の學生及小學教員であつた。技術の程度は、鉛筆の持方も知らぬ極めて初歩の人もあり、將來專門家たらんとの希望で現に研究所に生徒たる人もあり、文部省展覽會に自作を出品して、畫家として世に認められてゐる人もあつて、甚だ區々たるものであつた、猶このうちの十數氏は、昨年の講習會に出席せられし人々にして、長谷川氏の如きは、第一回の青梅より澁、奈良と三年間も續けて出席せられたのは其熱心を感ぜざるを得ない、また、遠く大阪より神戸より汽車にて毎日通學された人もあつた。
 ▼講習會開會中の日記は左の通りである
 八月一日晴、午後十時奈良三山亭着、會員先着二名あり
 八月二日晴、暑熱甚し、午前奈良振美會に島津氏を訪ひ、同氏と同行師範學校に久保田氏に面會、教場として同校教室を借受くることに決す○會員預金の便を開くため郵便局へゆく○大阪より松原氏來着○會員多數着、寄宿族館の振分を爲す、申込順により三山亭の人數二十餘名を限り、他は對山樓及び舛屋に分宿せしむ〇三山亭委員を日野竹下兩氏に、對山樓委員を富田西松兩氏に托し藤田氏を添へとなす○夜分松原氏及三山亭委員諸氏と共に對山樓にゆく
 三日晴、午前八時師範學校圖畫教室にて開會、出席者七十餘名、『開會の辭』(松原)講話『實習の心得』(大下)、九時より、半數は松原氏指導の下に戸外寫生の爲め大佛前へ、半數は學校にあつて静物寫生をなす、材料、『木製模型』、『圓柱及正方形』、『夏帽子と扇子』○午後、戸外寫生大佛前○夜分、三山亭に於て會員の茶話會を開く、出席者七十餘名○松原氏大阪へ歸らる○この日教場委員を西、吉村兩氏に托す
 四日晴、午前七時開始、講話『寫生に就ての注意』(大下)、戸外寫生大佛前、静物寫生『三脚と桔梗の花』『ヒマワリ』『書物』『漏斗』○午後寫生大佛前、○夜分丸山氏來着
 五日大雨、續いて晴、講話『水彩畫を學ぶ方法』(大下)、戸外寫生『大佛附近』静物寫生『模型』『植木鉢』『チョークと箱』○午後寫生春日社附近○臺灣よりの歸途なりとて石川欽一郎氏來着○丸山氏病氣の爲め今日缺席○夜、對山樓に於て茶話會、來會者六十餘名、石川氏の『寫生は叮嚀にすべきもの』と云ふ話あり
 六日晴より雨、午後大雨、講話『鉛筆、一色畫及びパステルの描法』(大下)、戸外寫生、場處隨意、静物『百合の花』『酸漿』『白布』『黄盆』○午後寫生、興福寺附近、暴雨にて皆々大に苦しむ
 七日曇より雨、講話、『寫生及添景人物』(石川)『透視畫法』(丸山)○石川氏近業十餘點を會員に觀覽せしむ○戸外寫生淺茅ケ原、丸山氏指導○静物寫生、『陶器』『鼠色布』『チヨーク箱』○午後、雨のため三山亭に於て美術雜話『模寫に就て』(大下)『色彩に就て』(石川)『自然美に就て』(丸山)
 八日晴、講話、『繪畫の成立』(丸山)〇九時より三月堂に天平時代の彫刻を觀る、新納忠之助氏説明の勞を執らる○午後寫生、春目社附近○夜、三山亭にて講話『繪の具の使用に就て』(石川)
 九日晴、講話『線の美』(丸山)、戸外寫生、春日野、静物寫生、『舞樂の面』『野楽』『ビール壜及コツプ』○午後、三山亭に於て兩講師作品陳列、説明を爲し、參考品として水彩畫印刷物多數を會員に觀覽せしむ○午前松原氏來り夕刻歸阪、○石川氏歸東○大阪より横尾氏來り大佛仁王門に於て會員の寫眞を撮る
 十日雨より晴、講話『色彩の話』(丸山)戸外寫生、春日野、静物寫生『西瓜』『團扇』○午後寫生春日赴附近○夜、對山樓にて講話『背景の話』(丸山)忘れ得ぬ繪畫(大下)『現今日本に於ける水彩畫派』(丸山)
 十一日小雨、講話『色彩の話』(丸山)、戸外寫生春日野、静物寫生『茶碗』『湯こぼし』○午後寫生、二月堂附近○夜、舛屋にて講話『寫生器具の話』『予が水彩畫專門となりし動機』(大下)
 十二日曇、講話『色彩の調和』(丸山)○戸外寫生春日野、静物寫生『土瓶』○午後寫生、二月堂及嫩艸山邊○比奈地氏及都鳥氏來着○夜、三山亭にて講話『自然の色』『月夜の寫生』(丸山)
 十三日晴、暑し、講話『圖按の理論』(比奈地)○戸外寫生、春日野、静物寫生『鹿の翫具』○午後寫生、二月堂及嫩草山邊○夜、對山樓にて講話、『繪の觀方』(都鳥)『花ことば』(比奈地)『寫生の注意』(丸山)『熱心と経驗』(大下)
 十四日晴、時々大雨、講話『圖按の形式』(比奈地)○戸外寫生、春日野、靜物寫生『提灯』○午後寫生、二月堂及嫩草山附近○夜、舛屋にて講話『圖案の參考書』(比奈地)『寫生の意義』(丸山)○都鳥氏歸洛
 十五日晴、講話『圖按の色彩』(比奈地)『透視畫法』(丸山)『緑の研究』(丸山)○午後寫生、二月堂、嫩草山附近○夜、三山亭にて講話、『尾瀬沼の話』(大下)『南歐旅行談』(丸山)○午後松原氏來らる
 十六日晴、午前九時師範學校講堂にて會員成績品陳列、批評○午後一時より三時迄公衆の觀覽を許す〇四時より六時迄茶話會、閉會
 以上
 ▼講習會も回を重ぬる毎に、主催者の側でも經驗が積み、會員の中にも再三出席して樣子がよく分つてゐる爲め、昨年よりも一層圓滿に且秩序よく運んだ、特に委員たる日野、竹下、西、富田、吉村、西松諸氏は、事務の方面一切、隨分ウルサイ事迄進んで所理して呉れたので非常の便宜を得た、講師の一人丸山氏は、去月旅行後の疲勞に加へて、少しく病氣なりし爲め、來着遲れ、前より頼み置きし眞野氏は俄かの差支、急に頼みし大橋氏もやはり病氣にて、一時は如何になりゆくかと私一人で大に困しみし時、前記委員の人々は、自分主催の講習會にてもあるかのやうに思つて萬事に盡力されたゝめ、此會を滞りなく開くことが出來た、吾々は爰に謹しんで諸君に感謝する。
 ▼會場に就ては、五月頃より種々交捗してはあつたが、確定したのは開會の前日である。此件に就ては、奈良振美會の主任たる島津康雄氏の勞を謝せざるを得ぬ、猶ほ奈良縣師範學校長龜井氏は、吾々の事業に同情厚く、曾て一面識もない吾々に對して『自分の學校と思つて自由に使用せよ』とさへ言はれた、同校圖畫科の久保田氏、美術院の新納氏、在滋賀縣中村氏大阪女子師範學校長大村氏等の此會に對する親切同情も謹んで爰に謝す。
 ▼寄宿旅舎の待遇は、昨年の大阪や澁の比ではない、孰れも親切を盡してくれた、特に三山亭の如きは、食事其他にも注意して、會員を一家族の如くに思ひ、利益を離れて遇してくれた、隨て會員は銘々何等の不足を言ふものなく、極めて滿足して居たやうである。
 ▼三山亭に於ける會員は、日野、竹下諸氏が主として親和を圖り、對山樓にては富田、西松兩氏、升屋にては西、飯田諸君が盡力されて、極て隔意なく終り迄圓滿に暮した、そして會員中、酒氣を帯びてゐたるものは一人もなく、また夜分遲く迄外出して居るやうなものは一人もなかつたとの事である。
▲會員中、後藤百次氏は神經病のため、菅井君は膓カルタの爲め、西君は脚氣のために中途より歸郷されたのは御氣の毒であつた。
 ▼以上は第三回講習會の概況てある。開催地たる奈良市有志の同情、會員の眞面目にして且熱心なる勉強、委員諸氏の献身的努力、夫等が此會をして滿足なる結果を得せしめた理由である、吾々は重て茲に深厚なる謝意をこれ等の諸君に致すのである。

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