鹿の糞(その一)
『みづゑ』第四十二 P.16
明治41年10月3日
■奈良公園到る處に黒豆が落ちてゐる、鹿の餌としては直ぐ傍にあるのに喰はぬから不思議に思つてゐたが、アレが鹿の糞だとさ■初めて見たのかネ臆病な奴だけあつて、糞迄ケチだ■だが可愛いゝものさ■鳴聲は妙だねマルで猫のやうた■第一回の茶話會は面白かつた■名乗りを上げるのに自分の特色を言ひ添へたがアレは爾後是非實行したい■私は近江の住人世に近江泥棒伊勢乞食と申ますが私は泥棒は致しません■私は○○ユタカと申ますが懐中はイツモ豊ではありません■以上二つが特に振つてゐた■ヲトツサンの講談は何時聽いても面白い■併し勿體ぶつて容易に高座へ上らぬ處がチト憎らしい■そんな事言ふと此次からやらんといふかも知れない■對山樓にはオトツサンの外にオツカサンがある■このオツカサン中々よく世話を燒いてくれた■對山樓の店に居る婆さんこそ度し難い奴だ■お客を目の前に置いて三山亭ではウチへ屑ばかりよこしたと言ふとは怪しからん■あまり無禮の待遇だといふので一時に八人出たので大狼狽急に體度が變つたのは痛快であつた■そのうちの四人は○○屋へ往たが對山樓以上の冷遇に耐へかねてスゴスゴ逆戻りは氣が利かぬ■ヱヘンヱヘンといふことが流行した、スルト二階の博士殿が僕が通るといつもヱヘンヱヘンといふがアレはドー云ふことだと尋ねられた■下駄がよく間違ふのは恐れ入つた■對山樓の大佛は評判のよい親切ものであつた