朝鮮のはなし

HS生
『みづゑ』第四十二 P.18
明治41年10月3日

△朝鮮、今は韓國といふ。さる六月その韓國へ往かれた大橋正堯氏から、同國の話を聞いたから、少しばかり諸君へ御紹介しやう。
△韓國の景色は無論日本のやうに豊富でない、何里何十里行つて、ボツンボツンと畫にすれば成るやうな處があるといふに過ぎぬ、汽車で何里往つても道端などに一輪の花も見ない。
△京城内の樓閣的建築は繪になるが、一寸スケツチといふ譯にはゆかぬ。北漢山には樹木がない、南山には松がある、その松は上が傘のやうに開いて姿勢はわるくない。
△韓人の家屋は陋穢でトテモ畫題にならぬ、從って道路山水などによい景色は見當らぬ。
△風俗は面白い、着物の色もよい、小流で並んで洗濯してゐる處も面白い、人物畫の出來る人なら可なりに材料はあらうと思ふ。
△河水は濁流で、日本のやうな清い水は滅多に見られない、それも雨後に水があるだけで、天氣になるとただの河原である。
△舊王宮内寫生の許可を得て往つて見たが、アザミが茂つてゐる、向ふに黒ヅンだ宮殿があつて、中々好畫題であつたので、早速筆を執つたが、二日目に徃つたら、主眼であつたアザミがスツカリ刈取られて仕舞つたので、終に畫を得ずにして歸つた。
△四五月頃はよいといふことだが六月時分は甚だ暑くして苦しい、樹蔭に居て風をうけてゐながらも珠の汗をかく、そして空氣は乾燥してゐるから、ワツトマンを貼つた畫板は蒲鉾のやうに反り返へる、終にはピリピリと紙が破れる。
△繪具が早く乾くために畫き惡いこと非常で、最初慣れぬうちは大失敗をした、そして繪具は無論カチカチになつて容易に溶けない。
△到る處不潔なのも寫生難の一つで、大雨の後だけは暫時キレイだが、平日は何處でも人糞のない處はない。
△京城附近でも今猶危險で、南の方はよいが北の方は一人では往く勇氣がない。
△宿料はイクラ下等でも一日三圓位ひはかゝる。
△日本から繪を持つてゆくと税關が面倒である。

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