大下兄足下


『みづゑ』第四十二 P.19-20
明治41年10月3日

 僕などが見て好い畫だと思つたものが專門家に云はせると悪いことが往々ある、先づ素人は素人らしく默つて居た方が無事らしい、と思つて僕は未だかつて畫について語つたことが無い。ましてやこれは恐ろしい黒人が寄り集まつてゐる「みづゑ」の御連中、丸山兄の謙信流、大兄の信玄流、突かれたり締あられたりしてはと思つて、まア今まては沈黙の態度を取つた、これでは理窟が分るのか分らぬのか、當人にも分らぬと來ては恐らく誰れにも分りはすまい、しかし今度の「みづゑ」を見たら僕はもう黙つて居られない、關はぬ、黒人から「あまいやつ」だと笑はれやうが、素人から袖を引かれて退去を迫まられうが、おれの好きはおれの好きだと、大きな鳴をあげて御覧に入れよう。
 前置きは、大變だが、實は今度の「まどぎは」に浮かされたのです、この畫を見たとき、はつと思った、由來人物畫には殆んど不向きと思考されたる水彩畫だ、それにこの出來はどうしたのだらう、夏目!夏目七策!これは一向に聞かぬ名だ、大方誰れかが、猫の方からでも思ひ付いての變名か、これほどの出來に、なにも遠慮して、假面を被らずともちぢやないか、あはははは。
 

カツサン氏鉛筆臨本の内

 大兄の「尾瀬ヶ原」を見る、これは畫よりは圖案らしい臭ひがする、美くしい本でもこしらへたら見返しにしたいいやこんなことを申すと、それは純藝術を蔑視したものだ、なぞと野暮なことは云つこなし、全くのところ、僕はさう思つた、直覺的にさう感じたのだ、感じたのをそのままに書いたのだ、應用藝術になつたつて、作品が立派なら別に他から覊絆を受けることもなからう。
 終りを見る、や、夏目とは本名だ、こういふ名は戸籍簿の上に記るされてあるのだ、僕はここに於て一大祀聲をあげるに躊躇しない、假面でない、實在だ、うれしい、うれしい、こんな手腕の人が出て來たのは、水彩畫界の幸幅だ。
 飜つて思ふ、研究所にある人の作なら、恐らく若い人だらう由來若い人には賞美は毒なものださうだ、これは自慢をして修養を怠る爲めだと聞く、おれはこう思ふ、この畫はよいが講師だちはそれを恐れて、價値相當の賞詞を惜しみはせぬか、こう思つたら矢も楯もない、無暗に褒めたくなつた、素人だつて關はぬ、世の多數は素人だ、具眼者の賞美は好いに違ひないが、資格のないものゝ讃歎も惡いことではあるまい、雪舟の繪を小供が賞めたとて、雪舟の價を損じることはあるまい。
 僕は夏目氏を水彩畫界に歡迎するものだ、
 九月七日山崎紫紅

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