鹿の糞(その三)


『みづゑ』第四十二 P.20
明治41年10月3日

■三山亭にも名物男が少しは居た■まづ誰れにも目につくのが二十四貫君■去年は二十貫君が居たが今年の方が進歩した■二十四貫君が傘を飛ばし寫生箱を覆へすといふ大奇劇があつたがお預りとしやう■下駄を片ッボ壊したから片ツボだけ買ふのだといふ奇人も居る■夕立の時は雨と雨との間を通つて少しも濡れないといふ細い人も居る■松の寫生畫の前ヘオモチヤの鹿を二匹並べてドーダ離れて見えるだらうと頗る得意でゐる人もあつた■三山亭のオカミは十八貫ある僕は男でありながら十一貫二百は情ないと何處かで悲觀してゐた人があつた■枡屋の連中にも少しは奇談がある■飯が炊きたてで熱いのでオヒヤを呉れといふたら水を持つて來た■近所に『いもぼう』と云ふ行燈がある何の事か分らぬのでわざわざ問ふたら芋と棒鱈の煮つけで今はないと言はれたげな■『かしわ』と書たそばに『なつがれ』と書き並べてある何の事たが終にわからぬ■一行五六人法隆寺へ往つた時中々大事件をやらかした■途中の梨畑で梨を買つて食つたのはよかつたがそれが爲め汽車に乗遲れた■次はまだ時間があるといふのでそのうちの一人が床屋へ入つて髯を剃らせた■また剃り切らぬうち汽車が來たので慌てゝ石鹸のついてゐるまゝでプラツトホームへ飛出した■他の一人は急いで向ふ側へ行ふとして走り出した■同時に上りと下りの列車が一時に入つて來た■今一歩ほんの一瞬間で轍の下の露とならんず一大危機に會した■それと氣のついた他の人達はあらん限りの聲を立てゝ呼止めたので危ふくもこゝに一命をとりとめた■あゝ危ふし危し命拾ひをした人は歸つたら何かお祝ひがあるだらうと思つたが美ん事的が外れ申候

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