みづゑ讀者の高義
『みづゑ』第四十二
明治41年10月3日
地方には人のわるい讀者があつて、小圖書館を開いてゐるとか、研究者の團體といふ名義で、見本と稱して雜誌の只取りを常に爲てゐる人があり、また發送部の混雜につけ入りつゝ、送金もしないのに未着と號して雜誌を捲上げるなど、卑劣不德の人が澤山あるそうであるこれは不德義千萬な話である、本會が毎月雜誌を發送する時は、帳簿の姓名を見て袋紙に寫した時マークをつけて置く、夫から發送後再び調べる、この時マークのないのを發見すると直ちに發送の手續をする、それ故發送漏といふ事は殆どなく、若し未著の時は途中の紛失である、かく再び調べて送る爲めに、時として一讀者に二冊の雜誌が發送されることがある、かゝる時本誌の讀者はいつも鄭重なる書状を添へてわざわざ送り返される、「自分の處ヘ二冊來た、他へ往くのが間違つたのであるとお氣の毒故御返却しやうか、又は間違先へ送らうか」と問合されるのもある、讀者の高義は感謝せざるを得ない。但こゝに申上て置きたいのは、かゝる際は別に御通知に及ばず、余分の一冊は御友蓬にでもあげて頂きたい。
たしか畝火中學の生徒と思つた、注文によつて送つた雜誌が不着だといふので、再び送つた、それから半年もたつて手紙が來た、「不着といふて雜誌を送つて貰つた處、當時確に學校へ到着してゐたのを、心安い友人が持返つで其儘忘れてゐたといふ事が今日分明した、誠に申譯ない」といふて改めて雜誌代を送られた、間がよければ無代で見てやらうなんと思つてゐる人の多い世の中の人に比して果して如何、本誌の讀者にはかゝる人があることを我々は光榮とする。
振替貯金といふのは、一度拂込のあつた度に手數料二錢を差引れる、夫故二錢丈け拂込金より餘分に申受ける定めになつてゐる、又此貯金を郵便局から拂戻して、即ち現金に代へる時は、金高によつて多少の手數料を取られるので、讀者には都合よく會の方では少々面倒な事になつてゐる、此拂込手數料二錢は僅かなものであるためか、他の雜誌社の話では拂込まぬ人が多いそうである、然るに本誌の讀者には殆どそのやうな人はない、時として手數料の添はぬ事もあるが、「手數料を忘れたから郵券で送る」とか、「此次に送る」とか必ず後とから申譯の書状が來る、是等も本誌の讀者に限つてのやうに思はれて、其の正義にして注意の周到なるを喜ばずに居られない。
日本水彩畫會の會友から批評を乞ふため送らるゝ作品は、再び持主へ返却する時、小包にする包装やら上は書やら、一寸面倒なものであるが、是とて心ある會友は、なるべく手數のかゝらぬやうに、或は薄き木箱を作つて入れたり、又は包紙を別に入れたり、又は宛名を書いた紙片を入れて置いて、それを直ぐ貼ればよいやうにしてあるのもある、是等も恐らく他の會には例のない、注意深く且つ親切な爲し方であらうと思ふ。
吾等は本誌の讀者が、かゝる品性高き紳士淑女であることを心より喜ぶものである。