寄書 奈良水彩畫講習會所感

凌風生
『みづゑ』第四十二
明治41年10月3日

 奈良に於ける二週間は、吾々にとつて最も有益な、且つ趣味ある、愉快な生活であつた、今故郷に歸つて、この間のことを追想するとほんとに、自分はこの現實世界とはなれて、天國にでも住んで居た樣な氣がする。吾々が常に敬慕して居た、大下丸山の爾先生は、趣味の殿堂に入らんとして、戸を叩いて居た吾々のために、遠く關西の地まで御越し下さつて、この戸を開き殿堂の奥深く進む樣、熱心と深切とを以て導かれ、尊き藝術の趣味を解し、絶大なる白然を讃美し、殺風景な人の世を、生き甲斐のある、樂しいものと感ずるまでに、して下さつたのである。
 吾々が講習中、先生から受けた、インスピレーシヨンは、實に多い、先生が立派な技能の感化は今更云ふまでもない、たゞ先生は絶えず研究には熱心と忠實とを以てせよ、と云はれたこれが世の所謂教育者流に、口先だけであるならば、吾々には何等の感じもないのである、然るに先生の御描きになつた畫でも又吾々に對せらるる態度でも、凡てこれが實現せられて居るから、誰れも、この強いインスピレーシヨンを、受けなにものは、なかつた。ことに、丸山先生が、御病氣であつたにもかかはらず、病ををつとめて、講義や實地指導に當られたこと等は、吾々講習生が益勉め勵んだ所以である。こんな風であるから講習生の大部分は、永い夏のひかげを、尚惜んで、朝夜の明かるのを待つて、床をはね起き、夕日が西に没して、あたりが暗くなる頃まで、寫生に熱中したのである、眞理は人格を通して活くと、實に至言である、
 尚愉快に堪へぬは、先生始め講習生一同が快活であつたことである、毎日の會話が趣味あるユーモアーに富んで居たばかりでなく、講話會茶話會等はほんとに、面白かつた、
 或人曰く、寫生も始めの中は面白からふが、暑いのに十日餘りも續けては、堪るまいと、こんな男に、吾々が水彩畫によつて得る樣な健全な趣味が分けてやりたい、美的樂受の深ければ深きに隨つて、快感も亦大となるのは彼の官能的快感のみを追ふて、遂に華嚴か淺間あたりへでも行かなければ、しまつがつかないと云ふ樣なのと、實に雲泥の差がある、吾々が繪筆をとり、自然と親む限りは、惱も悶もないのである、十四日間八十有餘の講習生が、吾れを忘れて、子供の樣な美しい心になつたのも之れである。
 大佛のあなた官樣蝉の聲、之れは誰れも知る蕪村の句である、宮樣の古い木立の下に、三脚几によつて、凉しい風を受けて居た吾等は、都の友が垂涎三尺も五尺もする處である。
 雨が時々降つたから困つたらふ、と尋ねた友人がある、我々はこの時々の雨降を喜んだのである、都合のよいことには、奈良は雨ふりでも、寫生の出來る處が頗る多い、大きな堂の下から塔や其の他色々建物を寫したり、大佛門の仁王、春日神社の寫生等、ことに宮嵐塔雨とは奈良特有の字句だとか、實に詩的だ。何れの會何れの講習でも、多數の人が寄れば面倒も起り、中には隨分小言の出來るものである、然るに今度の講習は、水彩畫の好きなものばかりが、自分の最尊敬して居る先生の下に、集つたのであるから、小言や不平の段ではなかつた、本年も各地に色々講習が開かれたが、之れほど心のよく合つた愉快な、そして最も有益な趣味ある講習が、何程あつたであらふ?。

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