問に答ふ
『みづゑ』第四十二
明治41年10月3日
■「みづゑ」二十九の『社頭』二十八の『遼河の岸』、三十六の『小笠原清瀬村』、四十の『富士山の朝』等の三色版は摸寫しても差支なきや、また『社頭』に用ひられし彩料は如何なるものにや(三田尻愛讀者)◎何れも摸寫して差支なからん、次に『社頭』の色彩は原畫とは多少の相違ある故こゝに示しがたし■音樂界、音樂新報、音樂、美術新報の發行所及定價、を知りたし(花輪ハーバード生)◎美術新報は東京本郷湯島切通坂町畫報社發行毎月二回一冊五錢、音樂雜誌は合併してたゞ音樂界一つあるのみ發行所其他未詳■繪具箱の横にある筒は何なりや、郊外寫生の時にのみワツトマンを水貼するものにや、水彩畫は普通のサバキ筆にて描き能ふか(大橋正治)◎筒とはチューブといふてやはり繪具なりネジリて口をとり尻の方からパレツトの上へ押出して用ふ、又水貼は必ずしも郊外寫生に限らず何時でも水貼して用ふべきもの、次にサバキ筆とは何のことか不明■美術時報及美術評論は發刊せしにや(佐藤周子)◎前者も後者も寄送し來らぬ故不明なれども多分後者は神田連雀町十八番地美術評論社にて發行を續け居るべし、定價未詳