イースト氏寫生談
石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ
石川欽一郎
『みづゑ』第四十三
明治41年11月3日
樹木(承前)先きに述べたる如く。木の端には或は急に或は緩なる動揺の繼續するものにして。此部分を畫くには初めに空よりも暗らく木よりも明るき中間色(コバルトとローズマダーに少量のイエローオーカーの如き)を土臺として適度に明暗を配置するものなるが。古大家の作品に就て考ふるに。コローは極めて輕妙に此端を畫き。ターナーは端の處を薄くする等人々方法は異なれども結果に見る處は同一なり。故に誰も皆自分の描法を案出すべきなり。
樹の幹。枝は硬ければ葉の柔らかなるに能き對照にして。又た葉の動く感じも硬き枝の爲めに彌々其趣を増すべし。葉の隙間より洩れ來る光りを現はすは中々困難なる業なり、之は往々畫の位置。釣合を傷ふものにして。又た點景人物は最も風景畫に釣合の六つかしきものなるが。之れに次で六つかしきは此木の間の光りなり。枝が幹より分かれ其間より空が透き見ゆる如きものが畫の中央にでも在らば稍やともすれば位置の釣合を損ふべし。木の間より洩るゝ空の色は他の部分の空の色と同一なるは當然にして。實際はそれに相違なしと雖ども。其通りに畫く時は此部分のみ目立ちて見ゆるもの故少し色を低くめて畫かざる可からず。實際には見えても畫には其通りゆかぬと云ふは即ち之れなり。枝と枝との間より見ゆる空の色を。他の部分の空と同一なる色に見するには少し色を暗くして初めて其感じを得るなり。
又た前章に述べたる空を後よりかく方が便利なりと云ふは。殊に木の端をかくに當り。空と木の端との色を互に融和せしめて葉の動揺する感じを現はすに適するが故なり。要するに我目的。希望に對しては如何なる方法を以てすべきかは。自分に深く苦心研究して。獨特の描法を案出するより外ある可からず。
草
草を畫くに葉を一枚々々現はすは愚なり、只だ草と云ふ物質の大體の性格を現はすが目的にして、之れは細密に草を觀察研究すれば終に達するを得べし。
晴天の日草原に至りて日に向ひ草を眺れば縁萌ゆるが如くなれども、顔を廻らして日より反對の方向を眺れば、緑色は稍や鼠色を加ふるに至らん、之れ日に向ふ時には光は葉を通過して目に來るも、日に反くときは葉が空を反射する色を見るものにして、其中には濃緑色もあり全體に幾多の複雜せる色現はれ、且其色は或は青空より或は白雲より種々なる反射を受けて趣を變化すべし。朝と夕とは草の色同じからず、朝は夕よりも鼠色多し、之れ朝は葉に露を帯びて光は露より反射するも、夕には乾ける葉より反射するが故なり。
草の遠近を正しく畫くは困難なり、足下の草と遠方の草とは其趣甚だ異なれりと雖も、色や形は同樣に見え樹木其他の物の如く遠近により形状の大小を生せざれば之を現はすに容易ならず、殊に平坦なる草原は最も遠近に困難にして、遠く廣き有樣平らなる趣を能く現はすは永き練習と深き觀察とを要すべし、それ故木や其他遠近を現はすに適するものを附けて助けとなすことあれども、其木や家屋を除く時は只だ平板なる緑色のみとなりて、少しも遠近の趣を見せざる事往々あり、之れは如何にせば可なりやと云ふに、近景の草を注視せば緑色にも種々あるべし、光る葉もあり暗き葉もあり、又葉の中にも色の濃きあり淡きあり、枯葉もあり又種類の異なる草も雜りて、全體の草原を現はすなり、直ぐ目前の草には能く此變化を見れども、少しく離るれば細かくは見へず、遠景に至らば殆んと細部を識別すること難し、故に中景は近景の如くに細かに畫く可からず、又た遠景は平らにかくべし、かく畫き方を異にせば遠近の感を助くべく、又た雲が地上に落す影、遠寺の塔、水流の屈曲等も遠近を助くべしと雖も、此等は只だ附加に過ぎざれば、草をどこまでも充分に畫き現はすべし。
直ぐ近き處にある物の色を現はすは容易にして生物寫生を爲すに同じ、例へば木の枝を花瓶に挿して畫くは困難ならざれども、若し此木が稍や遠方に生へて居るとなると中々容易には畫けぬものなり。
近景の草を畫くには全體の色は緑なれども、其中には種類や色の相違もあれば其感じを現はさゞる可からず、故に葉一枚々々を畫くの要なしとも、此趣を表はす爲めに種々なる緑色を配合せざる可からず。
色は混ぜずに其儘を一々直接に畫面に着け、又全體に色の寒き感じあれば暖色を點綴し、鼠色過ぐる時はカドミユム或はオキサイド、オブ、クロミユムの如き類を附加すべし、遠景は平らに畫き調子も鼠色を多くす、草は地面より上の方に向ひ生へたるものなれども、其通りに筆を縦に用ゆるの要なし、或部分は縦に畫く處もあれども、又た横に畫く處もあり、又た草花等を畫添へて大に趣を助くるものとす、此の如くして草を畫かば能く自然の趣を現はすことを得べきなり。