文部省美術展覽會の水彩畫

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第四十三
明治41年11月3日

 第二回美術展覧會の第二部は十月十五日より上野公園竹の臺陳列館に於て開會せられた、陳列總數百一點のうち、水彩畫は二十二點ある。今これ等の繪に向つて出來る限りの細評か試みたいのであるが、私は日本水彩畫會の用向のために明日から長野地方に旅行しなければならぬ、歸つてからでは十一月の誌上に間に合はぬ、此際二回三回熟視して、私の意見を責任を以て述べるといふことは出來ぬから、茲には不得止開會常日一覽した際の所感を記すことゝする、評の大に謬れるものもあらん、此點は作者及讀者諸君の御勘辨を願ふて置く。(十月十五日夜)
 六八雨後の夕(ワツトマン全紙横繪)吉田博氏
 圖は上州沼田の大景で、一帯の岡陵、その裾を流るゝ利根川白く、前景は萬頃の黄田、その雨上りの夕か描いたもので、搆圖も大によく整つてゐる、殊に夕の空の心持は遺憾なく現はれてゐて少しの無理がない、中景もよい、そして吉田氏慣用の蒼白な色――それは私のあまり好まぬ――が、此繪には少ない見渡した處水彩畫中の白眉と推すべき作であらう。
 八八潮岬(半切横)間部時雄氏
 昨年の『仲秋』のやうなよい感じを與へない、氏は關西美術院の淺井先生より受けたる畫風の床しみを捨てゝ、強い色を多く用ひられたが、それが自然の忠實なる寫生から來た色彩でなくて、大に主觀が手傳つてゐるやうにも思はれる、海水の色などにも生々しき所が多く見出される。
 四七緑蔭(半切横)河合新藏氏
 緑の崖があり、前景に藤蔓のからみし老樹あり、細き溪流ありて空の見えぬやゝ部分的の寫生で、線の配置は面白い、そして氏の緑の色は、やゝ單純ではあるがいつも新しく快よい感じがする、但此繪の緑色は少しく粘り氣味がある。
 四八早春(四ッ切横)河合新藏氏
 植物園の竹林を寫せしもので、この方が前のよりは佳いと思ふ。竹の雄勁な趣きもよく出でゐる、竹の葉に少しく飽き足らぬ點もあるが、下草から地面のあたりも面白い。
 八三イスパニヤ國風景(八ッ切程横)湯淺一郎氏
 繪は小さいが、蔭日向のキッカリした見るからに心地よい配合で、南國の空氣もよく畫かれてある。氏は外遊前には時々白馬會で水彩畫を示されたが、希くは今後も此方面にも力を盡されたく切望にたへぬ。
 一湯ケ野の冬、二林、三初冬(孰れも四ッ切縦)三宅克己氏
 三點のうちで、一番よいのは『林』であらう。晩秋の穩やかな光りが茂れる樹の葉を灰かに照してゐるのもよい、五六本の幹、それの配置に少しく心を勞されたら更によかつたらうと思ふ、前景が少しく間が抜けてゐる、水たまりか暗い石★でも欲しい心持がした。『湯ヶ野の冬』はうら淋しい繪である、冬は惣ての色彩が沈靜して、潤澤なく變化の乏しいものではあるが、それにしても今少し色が見えたらうと思はれる、潤ひもあまりになさ過る、ある人は此繪を見て干枯らびてゐるといふたが、酷評と郤けることは出來ないであらう。『初冬』は無事な繪で、以上三作を通じて、從來の作に比べて見ると、筆者の主觀的定型といふものが幾分か無くなつたやうである。
 一〇夕照(二ッ切横)藤島英輔氏
 戸山の原の寫生だそうであるが、暖かい感じのよい繪である。此春の太平洋畫會出品畫に比してその進境は殆と別人の感がある、夕日の照してゐる樹木の邊に重きを置過て、それと對照さるべき前の暗き樹の方の描寫が不充分であるとの評を聞いたが、私も同感である、空はよいと思ふ、中央、赤き一本の幹は少しく故とらしいやうにも思はれた。
 三八眞夏の夕(四ッ切縦)丸山晩霞氏
 山村夕暮の心持は充分現はれてゐる、氏は此秋は不得止事情にて大作の時間を得ることが出來なかつたゝめ、力ある製作を此會に見る能はざるはわれ人共に遺憾とする處である。
 三一農夫(二ッ切縦)夏目七策氏
 水彩畫で人物を描く人は甚だ少ない、それは材料が人間の皮膚か畫くに不適當といふ程でもないが、油繪にて畫くよりも困難が多いからである、それ故あまり此方面に力を盡くす人がない、獨り夏目氏は、人物の描寫に妙を得て居られる、そして氏は風景畫よりも確に人物畫の方が巧みである、『農夫』の圖は、其煙管を手にしてゐるために休息といふ意味も見えて、靜止してゐる體度に無理がなくてよい、總體に陶製の人形じみて硬いのが此繪の欠點であらう、これは静物寫生の時に染み込んだ癖が抜けないので、あまりに何處迄も描き過るためである、少しく省筆といふことに注意されたい。
 四四夕立雲(全紙)中川八郎氏
 私をして少なからず失望せしめたは此繪である、主題たる夕立雲ば其趣が出てゐるが、下半分即ち水面前景の邊の印象が如何にも弱くして不自然である、目的物さへよく描出せば他は搆はぬといふものではあるまい、前景に力を加へると雲の方の注意が散じるといふ恐れからでもあらうが、私の考では、寧ろ其反對に前景が確りしたなら雲の方が一層よく現はれはすまいかと思はれる、そして水面に薄氷でも張つてゐるやうで感服出來なかつた。
 六一松籟(四ッ切横)三上知治氏
 達者な筆である、色が少しく墨ッぽくはないか。
 六六富士山(二ッ切横)吉田フジオ女史
 優美な女性的な繪である、松の幹にも少し力があつて欲しいと思つた。
 七三静物(二ッ切横)柴田節藏氏
 靜物畫の上乗なるもの、よく物質も現はれてゐる、組立も結構、忠實な寫生でしかもウルサイ處が少しもないのは嬉しい。
 六九店頭秋彩(四ッ切横)吉田博氏
 田舎の町の八百屋の店先を畫きしもの、色の取合せなど面白い。
 七四小流(半切程、横)石川欽一郎氏
 活々した、筆に力のある達者な繪である、位置も面日い、色も豊富で、粗い描き方の中に細かい意味が含まれてゐる。此繪は三宅氏の『湯ケ野の冬』と並んでゐるが、二者を對照して見ると極めて面白い、石川氏はスケツチ畫家で、一枚の繪の寫生に一二時間宛三日も通へばドンな大作でも出來るといふやうな人、一寸したスケツチには二十分三十分でよく印象を捕へて描き上げて仕舞ふ、そして繪が如何にもラクに出來る。反之三宅氏は隨分長時間突ついてゐる方で、この結果として瞬時の現象を描き出すことは不得意である、其繪には如何にも苦心の痕が見えて伸々した處を見出しがたい、石川氏のやり方のよい場合もあり、三宅氏のやうにやらねばならぬ場合もあらう、其の利害は今こゝに論ずべきではない、たゞ二家の異なる點を上げて讀者の參考に供せし迄である。
 以上のほか、寺田英俊氏の『少女』、織田一麿氏の『鼠色の海』、野田半三氏の『郊外』、森本茂雄氏の『午後の日』、テリー氏の『バラの花』等もあるが、これ等の評は今回はお預りとする。
 要するに本年の水彩畫の出品はあまり振はぬ方で、面積の大なる繪も前年よりは少ない、また前年出品されし、大橋正堯、磯部忠一、石井滿吉、安藤復藏等諸氏の製作を欠きしは殘り惜しき事である。
 

カツサン氏鉛筆臨本の内

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