秋のたび(繪はがきに添へて)

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第四十三
明治41年11月3日

秋のたび(繪はがきに添へて)
 汀鴎
 ○いま池田といふところへつきました、ガタクリ馬車でおしりがいたくなりまりた(十月十五日午前十一時信州にて)
 ○汽車内は大混雜、一寸うとうとしたばかり、今朝明科着、それから馬車にゆられて、六里の道を三時間、大町へ着いたのは正午の頃、對山舘といふ見かけの立派な三階の宿屋で晝食、中學の百瀬といふ先生を尋ねたが不在、人車で木崎へ徃つて漸く面會宿を湖畔の越後屋といふのに極めた(十五日午後二時)
 ○木崎湖は中々好風景、中網、青木はまだ見ぬ、秋は少しく早く丁度歸りの頃が紅葉の盛ならん、霜は目立つぽどは降らぬとの話なれど夕方は中々寒い、宿は御話にならぬ體裁、併しなるべく我慢して少し骨折つたものを畫いてゆくつもりに候(十五日夕)
 〇一枚寫生して宿へ歸れば吹通し明放しの八疊座敷、表からも裏からもまる見へ、暗らくなつても燈火も來ぬ、茶一杯のませぬ、村のヤクザ者共が二階座敷に集まつてゐる、七八人で一升四十五錢の地酒を五升七合飲んで、婆さんを掴まへて糸のゆるんだ三味線をひかせ、追分やらラツパ節やらドタドタミシミシ散々騒いだ擧句が御定まりの喧嘩、いつやむことか、是ではトテモトテモ昨夜の疲れを休むることは出來ぬ、風呂場は湖畔の破家にあるやうだが今夜は湧きそうにもない、夜のものが思ひやられる(十五日夜)
 ○昨夜のつゞきを申上ませう、二階の喧嘩もだんだん花がさく、窓から小便をする、酒を持つて來いといふ、宿でも驚いてもう無いといふそれでも田舎だけに夜更迄といふこともなく八時頃散會、こんな譯で不行届だと宿の人の言譯をたくさん聽いて、燈火にも食事にも有つきました、御馳走は松葺と豆腐の味噌汁、小魚の串さし、クキの漬物御飯は咬んでも齒に耐へぬフワフワした奴、それでも此夏の上高地よりは結構でした、いよいよ寝ることとなると、案内されたは二階の十一疊、勿論天井などはない、南と北との窓にも雨戸はない、破れ障子から風がビユービユー、お寒からうと屏風で圍つてくれました、夜具は厚い厚い重い重い五布薄團、下敷も二枚も敷いて呉れました、船底枕といふ物もそんなに不都合てはないもの、まづまづ安らかに眠れました、寝衣はないから、シヤツも脱がずに其まゝ(十六日朝)
 ○ゆうべはさむくてこたつへはいりました、けさはまつしろにしもがふつて、氷のはつたところもあります、あさからこたつへはいつてゐます(十六日朝)
 ○今朝は七時迄床の中に居た、寒い朝で霜が雪のやうに下りてゐる、湖水で顔を洗つたが水は暖かであつた、一包の握飯を携へて寫生に出かけ、木崎湖を一週して三枚程スケツチが出來た、一寸した景色の面白い處もあるが、赤城や檜原とは比べものにはならぬ、青木湖を見て詰らなかつたら甲州へゆくつもり、宿のお婆さん至極親切で、其後は酒飲客もサッパリ來ません(十六日夜)
 ○今日は雨で對岸の山が濛朧としてゐる、火の氣のない二階に湖水を寫生した、襟巻をして手袋をはめたりしたがそれでも寒い、下から暖かいおサツの蒸したのを持つて來て呉れたときは嬉しかつたそれはたべたいためでなく手を暖めたゝるに好郁合であつたから(十七日夕)
 ○今日は雨後の晴天で、拭つたやうな蒼空、草鞋穿きになつて青木湖へ徃つた、深山の趣きがあつて、幽邃で、今紅葉の盛りで美はしい、寫生畫三枚徃復五里夕方宿へ歸つた、例にょつて風呂はない、たゞ御茶受の金鍔や豆ネジが唯一のお樂しみである、夜の蒲團の重いのには實に驚く、始終壓へつけてゐられるやうで朝は肩が痛い、そして夜中に窓の障子の破れから大嫌ひの野良猫が這入て來るのでオチオチ眠れない(十九日朝)
 ○イヤリの池といふを探りしも面白からず、途上二三の寫生を試みて早くより宿へ歸り申候、郵便切手賣下處にハガキの品切。木崎にてはトウトウ入浴不致候、湖水は湯氣たちて水暖かなれど、ハダカで飛込む勇氣は出で不申候小春日和の晝間はいと暖かなれど、朝夕は東京の寒中のやうにも覺え候、今宵十三夜、お祝ひの餅をたうべ申候、明日は甲州地へ向ひ可申候(十九日夜)
 ○

カツサン氏鉛筆臨本の内

 豫定通り今朝木崎出發致候、一日の宿料十八錢、十年前でもこんな事は無之候、あまりに氣の毒ゆへ餘分にとらせ候ところそれではならぬと押問答いたし候、以て其待遇の如何設備の如何御諒察ありたく候、途中大町百瀬氏宅に立より、午後馬車にて明科に着、久し振にて風呂にも入り、美味の夕飯にもありつき申候、今宵の夢も快よからんと存居候(二十日夜、明科館にて)今朝八時明科出發、十二時當地に着鶴屋と申に投宿致候、途中より雨と相成、諏訪の湖は水白みて荒寥を極め申候、遠足にや、小學女生徒の一群上諏訪に下車せしが、この寒雨を衝いて何處にゆかんとはする、いたくな降りそと私は彼等の爲めに天に祈り申候
 山々は霧に包まれて其雄姿を見る能はす候(二十一日甲州日の春にて)
 ○かへりは二十四日か五日かいまはわかりません、そして夜の十時すぎになりませう
 このへんのやまには、きのこがたくさんはへてゐますあかい柿もほうぼうになつてゐます(二十二日)
 ○快晴となつたから、七里岩の方へ徃つて笛吹川を隔てゝ富士も駒も、鳳凰も寫しました、氣候は信州よりも暖かです、
 宿は愉快ならず、名物鯉料理さつぱり感心せず、風呂もなし、夜に入ると酒客襲來、深更迄喧囂してゐます、明日山の寫生を終り二十四日には歸りたく候(二十二日夜)
 ○雨なりしも出發と定めました、笹子大月間まだ汽車不通、道なき處を三里は苦しいが、水害の痕を見るのも何かの參考にもなるべく、再び信州へ廻るのも厭なれば中央線を選びました、笹子トン子ルの東の出口で汽車から下され、晝食は生の玉子三つ、雨中所謂假國道とよばるゝ川原の中を、重い荷を擔いで徒歩を續けました、途中の惨状は新聞紙にある通り、殆と九十度の角をなせる絶壁の下を通り、水を渉り、泥濘に苦しみ、漸く四時頃此處迄漕ぎつけました、停車揚の遠いのにはほとほと閉口この邊コスモスの花今を盛りに開いてゐます、吾家の庭もさぞ美しからんと思へば明日の朝起きた時が樂しみです
 (二十四日夕、大月停車塲にて)完

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