繪畫展覽會


『みづゑ』第四十三
明治41年11月3日

 毎年春秋になるど諸方に展覽會が開かれ、彼方此方で繪畫の論評が話題になる。いかにも展覧會は美術を奨勵する方法に相違ない。現に近頃の繪畫はみな展覽會に出すつもりで畫かれたなので、カンヴアスや筆と共に展覽會は美術家に必要なものとなつたのである。
 併しながらファイデアスはその製作を畫堂に持ち込んだであらうかヂヨルヂヲネやヂオツトオの繪は何百何十何番と番號を附けられて、多數の繪畫と押し合つて居たのであろうか。チヽアンの「昇天」ネントレツトオの「天國」が陳列に適しないといふので、ウエニスのアカデミーから排斥された事は聞かぬのである。凡そ繪畫は特別な場所特別な周圍のなかに置て見なければならぬものである。たとへば戦爭畫は公堂に、風景畫は別荘の婦人室に置かなければならぬ。併し展覽會に適する繪といふのは一個もあるまい。畫であればこそ各種のものを一堂に集めて濟して見て居られるのであるがこれが音樂であつたなら如何であらう。各種の音樂が別々の調子で朝から晩まで一っ處で演奏して居たなら如何であらうか。道理の合はぬ事は、展覽會の繪の場合も此音樂の場合も同一である。然るに近頃は此各種の繪を雜然と一堂に集める展覽會がますます流行して來て、聖母の像も洗濯婆の畫も何もかも押し合しへあひ一處に陳列されて居る。其處でそれを見物するために若くは評論するために、素人も批評家も吾れがちに出かける。
 それで大きな繪は展覽會には見られない。繪が大きくなれば、それ丈け展覽會に出しては損になる。大低近頃の畫は展覽會に出すつりもで畫かれたものであるが、中にはさうでないのもある。左樣いふ場合にば畫家は必ず利益を得て居る。ロセツテイの評判の一半はこの展覽會に出さなかつたといふ處である。
 併し展覽會の弊はかゝる技藝上の事にのみあるのではない。さらた畫家の思想に關係する道德上の害がある。如何にも畫家のうちには確固たる信念を持つて居るものがあらう。併し誘惑の力は偉大である。競爭とは多數の繪のうちにあつて、よく人の注意を引かうといふ非望を指す。言葉をかへて言へば、無智文盲なる多數の氣に入らうと力めるのである。意志の強固な人も徃々かゝる誘惑にかゝる。隨分立派な畫家が公衆の意を迎へるやうな事をやる。これが展覽會の尤も恐るべき弊である。
 「畫家が苦心の作を公衆に示す方法は展覽會に依らなくともいろいろある。第一には畫家自からの畫室に於てするもよし、また其畫を納める場所に於てするもよからう。フアイデアスのアテーネパルセノンに納められた時には、大祭が行はれ市民が爭てその像を拜したチマプエがマドンナを完成してこれを神殿に納めた日にはフローレンス全市が業を休んだ。美術隆盛時代の眞の展覽會とは斯る場合をいふのであらう。
 斯樣な理由から今日の展覽會なるものは必ずしも惡いとは言はれぬが、公衆の注意を引かうなどゝ云ふ競爭心を起すのは甚だよろしくないと」(東京朝日)

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