ポンチ畫の勢力
『みづゑ』第四十三
明治41年11月3日
△倫敦の『ポンチ』といふ雜誌は、往時巴里で發行された『シヤリヴアり』といふ滑稽雜誌を眞似したもので、今でも『ポンチ』は一名『ロンドンシヤリヴアリ』と稱してゐる。
△『ポンチ』とは、英國にポンチ及ヂユヂーといふ男と女の人形があつて、此人形を踴らせて樣々な滑稽な事を遣つて見せる見世物がある。それが雜誌の名になつたのである、それであるから、英語のポンチは勿論畫のことではないのである。
△パツクといふのは、大昔に英國に住んでゐたといふ人の名で、非常な滑稽家であつたそうだ、其人の名は英米の雜誌に用ひられ續いて近來日本へも入つて來たのである。
△西洋で諷刺畫の起つたのは古いことであるが、盛んはなつたのは十五世紀頃で、十八世紀の末には一層隆盛を極めた、クルツクシヤツク(トースス)、ランドシーア、リーチ、テニヱル等は諷刺畫家として有名であつた、今英國で名高いのはモーリアー、フイルメイ、ベルグリニ畫名(ヱープ)、ワード(スパイ)ビーボアム(マツクス)等の諸氏である。
△凡筆の人には諷刺畫はかけぬ、外國の諷刺畫家は孰れも畫家として非凡な人である、一枚の畫は大文豪が百萬言を連ねたよりも効がある
△曾て佛國の諷刺畫家は一本の筆で内閣の總辭職をさせた、倫敦の『ポンチ』はピスマークの辭職を題として世界の相場に大變動を起させたことがある
△日本の諷刺畫は未だ低い程度に居る、諷刺畫が振ふやうでなくては日本の藝術はまだ駄目である、將來大に發達させたいものである、(萬朝報)