寄書 三亭逸話

京の大佛
『みづゑ』第四十三
明治41年11月3日

△奈良に於ける二週間は、短しと雖も、余等には確かに益する所が、少なくなかつた。水彩畫に關しては、兩先生は勿論斯道のオーソリチーであるが、余の意見としては其キラクリターに於ても、優に僕輩の以て摸範とするにたる人だ
△一日大下師雨を春日社山門内に避けらる
 師時に、洋傘を手にせられず、某生其傘を用ひられん事を乞ふ傍にありし某生曰く『大下先生は兩と雨との隙間が、通れましよう』と
△講習會員の寫眞が出來た時に、名物男なる廿四貫君大下師に曰く『先生の隣りに居れば、相方の特徴がよく知れてコントラストが妙ですな』と
△三山亭なる會負の内拾人許りの有志をつのり、追々講習會も終りに近ついて來たから紀念の爲に、寫眞を撮影せむとす。
 最後の批評會の當日に及ぴ某寫眞師に至りて、位置及び背景はなるだけ奇抜にせんとす。寫眞師怒りて許諾を経ずして、撮影し終れり。皆大いに不平を鳴らしたり。出來上つて見れば、一つとして膨れ面ならざるはなかりき。唖然たり
△一日某生淺茅ケ原にて、傘杖を立てて寫生中俄然沛然として降る雨に大雷をともなふ。某生大いに狼狽して、用具をかゝへて傘杖のみは、頭に金屬附しあればとて、原の眞中に捨てゝ歸る。三亭の門を入るやガラガラと附近に落雷す。某生濡鼠の如くになりて傘杖を取りに行くに恐々たり。
△某肥大漢講習會閉會の翌日歸國せんとて停車場に至り見れば、發車に僅か二分を余すのみ、某生さらでだに持て余したる大躯に加ふるに、一の大いなるかばん三脚寫生箱プラツトホームに出て々見れば南無三汽車は向ふ側に居つて今や發せんとして居る是非陸橋を渡らねばならぬこゝに於て大いに狼狽して橋を下れば驛夫は戸を開いて持つて居てくれた。腰を下す間もなくヒユーの一聲と共に發車した、實に間髪をいれぬ位だつた。

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