寄書 片々

草水生
『みづゑ』第四十三
明治41年11月3日

○小春日和の日曜日、冬の森でもかいて見やうと、のそのそ郊外に出かけた、暫して立ち止つたのは(三脚を据えたと云ひたいが)とある麥畑の畔青々した幾條のうねをへだてて枯れた穀斗林が柔い日影を浴びて紫に見える、僕はかがんだけれども、ペンを採るの勇氣を出しかねた、宛然嬰兒の母親に抱かれた時のやう、偉大なる冬の美にうたれて!
○あゝ淋しい哉冬の林や、細々たる綺羅の衣を惜しげもなく郷げ捨てゝ吐く呼吸の氣もない禅定の姿、裸體の森の女神が落葉厚き山懐に倚りかかつて眠つてゐるかのやう、其の幹、其の枝、凛たる威嚴、あゝ眞の影、何者かが私語いてゐる死の冬の美!!
○この秋は畫版も出來たし水彩畫紙の四つ切も手に入つた、大荒目であるが普通畫紙使用の僕には大したものである、で僕は花廼屋製の十二色を持てサッサと足の向ふがまま、見取枠を透して輪廓をとる、下塗する、さて着色にかかると塗ても塗ても空隙がうまらぬ、この日は畫頃までにやうやく半分、次の日漸く形付けてしまつたがなかなか調和もなにも顧るの餘裕がなかつた、只一生懸命白紙を塗り消さうとあせつたのである、蓋しこれが四つ切の初寫生、
○繪具紙、一向僕の思ふやうにならぬ、その上技術ときては臺なしだそれでも時々畫版を片手にそこはかとなく出かけては失敗する、しかし失敗はしても相應に愉快を感じてゐる、余にとつては二つ三つしかない慰藉のうちの一なのだから、
○太陽が逶★たる西山に没して馬引きたる樵夫が夕餉の烟を縫ふて歸る頃には空は何とも云はれぬ程澄んだユーヅ色に匂てゐる、その時には雲もばら色に見へる、活々した大きな星が一つ見えそめる頃には雲は淡紫の衣にぬぎかへる

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