寄書 洋畫展覽會を見る
坂黙堂
『みづゑ』第四十四
明治41年11月18日
松原氏天彩畫塾第二回洋畫展覽會は十月二十四日より博物塲南館に於て開かれ申候、出品總數二百十餘點其内油畫チヨーク鉛筆等合せて二十點内外、他は皆水彩畫にして、出品者は大下、丸山、河合、大橋、吉田、五姓田、中川、滿谷、鹿子木、渡邊文三郎、大森柳江、高田三五郎の諸氏、之れに松原氏及其塾生二十餘名に有之候。
斯の如く大家の作品比較的多數なると、其大部分が水彩畫なるとは、僕をして多大の滿足を感せしめ申候、只遺憾なりしは、建物の搆造會場たるに適せず、光線の工合甚だ惡敷、畫面に反射し、看者をして不快の感を與へたるの一事に候。
水彩畫に於て、場中白眉に推すべきは吉田氏の小川に有之、實に傑作と見受け申候、次に中川氏の田舎道、黄葉の村、河合氏の緑蔭、並木の朝、丸山氏の山頂深森、緑蔭、大下氏の多摩川、吉田氏の夕立、秋月夜、大橋氏の實り、五姓田氏の暮色等は何れも面白く唯々敬服の外無之候、其他塾生諸氏の作品に於ては、瀬野氏の秋の朝、比叡山、岩本氏の網すき、田中氏の樂器、バケツと茶瓶、外に二三の見るべきもの有之候へども概して平凡の作多數に見受け申候、又大下氏の作品は出品數の割に傑作少く、一方ならず落膽せしめ申候、
要するに今次の展覽會は、其作品(塾生諸氏の)に於て多くの傑作を見る能はざりしも、此開會に依て、一般洋畫趣味に乏しき我大坂人士に其趣味を注入し得たる事蓋し尠少ならざるべしと確信致候。
終に望み、斯道の爲め、主催者及出品者諸氏の健在を祈る。
汀鴎曰く、大坂の洋畫會出品畫に對して御失望を與へし罪を謝す、元より傑作などありやうはなけれど、實は當時關係してゐた展覽會は、長野共進會の分、山形縣師範學狡の紀念展覽會、静岡縣榛原中學校、越後高田の中學校、東京のみどり洋畫會、日本銀行内有志の小集會、それに文部省を合せて實に七ヶ所、其他個人に貸與せしもの十數名、それ等の分の手許に戻らぬため、大阪へは持古しのスケツチや畫き損ひの無責任なものばかり往つた次第で、何共御氣の毒千萬、第三回の時は立派なものを御覽に入れますから、今度は御勘辮を願ひます。