色彩應用論[十] 點綴の人物と動物

榕村主人アコウムラシュジン 作者一覧へ

榕村主人
『みづゑ』第四十五
明治41年12月3日

 點綴の人物と動物風景畫には點綴の人物や動物がないと何となく物足らぬ感じのするものである。素より點綴の人物や動物がなくとも完全な立派な風景畫があることはいふまでもない事である。
 で、點綴の人物の必要は唯畫にしまりを附ける許でなく、これに依て風景の廣サや其の他の事物の大サの比較を示すことが出來る。また服装の如何に依て、どの地方の風景であるかを知るの便がある。また農夫等を點綴して時間や氣候等を現はすことも出來る。
 概しで、粗い人物は原色を使用して描くが可い。その衣服の如きは最強い色彩を以てすれば、調和も對照も可くなる。隨てこれが繪の大なる力ある燒點となツて、これと仝時に前景は増々前に進み、遠景は隔りを増すといふ利益がある。
 然しながら畫面の主要な部分でも、常に色彩を充分な力で現さなければならぬといふ考を以て居ると間違ふ。で最強い光部に於ても、また最大なる暗所に於ても、程好い日光に依て顯はれるやうに積極的に顯はれるものではないといふ事を心に銘して置かねばならぬ。もしこれを犯して、影も日向も共に仝一な純粋な調子で、赤や藍色の衣服を描くとすれば殆ど兒戯に類するものとなる。
 點綴人物の蔭日向が繪の厚みに大關係があるから、その光線が何んな風に來て居るかといふことを研究しなければならない。例えば前景に人物が必要だとすると、その衣服の色等は繪全體から餘り區別が附き過ぎない限りで、人の目に注意を引くやうな色彩を用えなければならない。婦人や小兒の衣服等が殊に色彩や調子の調和を得る利便のあるものである。これは對照の美を現はすと仝時に繪全體の注目點となるのである。また男や童子の暗い色の衣服も對照といふ點からは可いもので、繪の厚みを増す利益がある。
 人物全體を明るくしやうとするには、色彩を日向に關係のあるものを撰ばねばならぬ。そうして薄ッベらにならぬ樣注意せねばならぬ。人物の衣服の材料が蔭と日向とに多大の關係があるものである。手織木綿の衣服等を着た農夫等が甚だ調和が好い。その大きな折目は繪の厚みを見せ、粗末な處が和かいものよりは摸し易い利便もある。衣服が長持をするので色が褪せて居る、その爲めに種々な面白い色があるので蔭と日向を描くに大いに補助となる。また緋や橙黄赤の衣服の人物は日向を損せずに、頗る注意を引くものである。されはこれ等の色彩が蔭より日向に屬するものであるからである。黄色のも稍下るが仝樣の結果がある。全體に色彩が純粹に過ぎると甚だ華美に見えるから、ボンネツトやハンカチーフ等の黄の多い緑色のものをあしらうて調和させる必要のある時がある。
 ブリユーの色を餘りに人物に使用すると、繪の暖味を損する恐がある。それでブリユーに少量の黄や赤を混じて、紫や帯赤の鳶色で蔭を施して對照をよろしくすると氣持の好い色が出來るものである。マダーとセピヤまたはヴアンダイクブラオンとレーキ等で作つた豊富な鳶色にブリユーの蔭で寒くした色も面白い。多數の人物中で一人に注意を引くやうにしやうとするには、對照を與へるが可い。この對照は蔭と日向とのそればかりでなく、色彩の對照にも注意しなければならない。
 點綴人物の研究は常に畫家の腦裡に置かねばならない。風景畫を描くに熱中して居ると、たまたまそこを格向の人物が通過しても、これを鉛筆のスケツチをして置くのを怠る。さて繪は出來たが人物がなくては納らないといふ塲合が往々にあるから、成るべく格向な人物を見附けたならば、直ちにスケツチブツクに鉛筆を走らして主要な色彩までも心覺に記して置くがよろしい。必要に驅られて直に其日に點綴人物を研究しやうとした處で、さう格向な人物がざらに轉ッて居るものではない。
 風景畫が殆と完成したが、何處へ人物を置いたならば可からうかといふ疑問が出た時には宜しく畫家の想像の力で、適當と思ふ處へ手の指を置いて見てから描くのも一法であらう。これでは色彩や對照の點が不明瞭であると思ふならば、紙片に所定の人物を描いて、これを適當と思ふ處へ置いて見て、それから適當の箇所へ描くが可い。
 風景畫に描くべき人物の大きさはどんなものであらうといふ疑問は初學者の間に往々起るものである概していふと點綴人物は少さい方がよろしい。餘り大き過ぎると、風景畫の方が從たるものとなる。動物の活動の樣を點綴すれば人目を引き畫全體の注意を集める。これが爲に生命の觀念を看者に與へて非常に興味を添えるものである。閑寂な小川の流に輩翠の翔ける樣や青鷺の靜に飛ぶ樣、または蝶々のひらひらと飜る樣等皆趣のあるものである。この場合は實際よりもより大きくより明かに描かねばならぬ。また餘り遠方で甚少さく見えたり、周園の物が同じ色であツたりする場合もこの描法に依るのである。
 點綴人物でも輪廓は精確にせなくてはならない。故に人體の解剖や均合等は一と通り心得て居らなければならぬ必要がある。
 さて直立の人物を畫面に描くとすれば、人物の足の來るべき處に地平線か點線を引いて。それから頭を描くべき處を定める。これで人物の高さが出來る、即ちそこに鉛直線を描いて均合等を定めるのである。もし人物が動いて居る場合、即ち歩行するとか、走るとか、或は重い物を曳いて居るといふ場合は、身體の均合は自ら異ツて來る。かゝる場合は身體が前方に傾いて、隨ッて足が先へ出る。人物の高さは大凡頭の六倍としてある。小兒は頭が比較的に大きいので凡五倍である。
 最初人物を描くには輪廓の上にセピアかブラオンマダーで蔭日向の大體を塗つて置くのである。それから顔面身體等の重もなろ蔭を付ける。これはヴアンダイクブオラオンを土臺にして、その人物の血液循環の良不良等にょりて、ブラオンマダーで暖味をもたせ、またはコバルトで冷た味をつけるのである。で餘り水氣がなければ、インヂアンエローとヴエネシアンレツドかバーントシーナとで淡いワツシをする。それから非常に光澤あるやうにしやうとにはカドミユームとカーマインとを用ひる、緑を帯びた中和色の蔭にはバーントシーナとコバルトを交じへる。赤味を帯びたものにはヴエネシアンレツトとコバルトとを混ずるのである。もし顔面が黒い時にはインヂアンエローとインヂアンレツトもしくはブラオンマダーもしくはヴマンダイクブラオン、セビアもしくはブラオンマダーとコバルトとを蔭に使用する。人物の蔭は必ず曖味を帯びて居ることを記臆して居らねばならぬ。
 終りに家畜及動物につき一言する。家畜及動物は人物と共に風景畫に興味を與へる者である。是を點綴するにも風景畫全體よりもよく純粹な色彩を使用して對照を與へるがよい。家畜の色彩は普通豊富で暗いものであるが、時としては白色の牛馬の如き、前景に少からぬ明るみを與へるものもある。毛皮の粗野の馬等は野や森の景色畫に點綴するによろしい。犬の如きも羊の群や羊飼に添景するに必要なものである。家畜及動物の豊富な色は、普通一色で重潤することが出來る。明るい時にはエローオークルもしくはエローオークルとライトレツド、若くはバーントシーナとブラオンマダー、もしくはインヂアンエローとパープルマダーもしくはブラオンマダーとセピア、ヴアンダイクブラオンとパープルマダーもしくはヴアンダイクブラオンとクリムソンレーキとを用ひる。黒色の時でも黒色の彩料は用ひぬがよろしい。色彩を混交するかまたは重潤するかして黒色か藍色、もしくは鳶色の黒になるやうにせねばならぬ。でその色はインヂゴーとパープルマダー、フレンチブリコーとヴアンダイクブラオンもしくはセピアもしくはパープルマダーで。これにインヂゴーもしくはフレンチブリユーで重潤する。かくすれば不透明でなく深みを與へることが出來る。[終結〕

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