靜物寫生の話[六]

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第四十五
明治41年12月3日

△既に前に繰返して云ふたことであるから、最早了解された事とは思ふが、更に初學の人が鉛筆で實物寫生をする順序を再び記して見やう。
△まづ二冊の書物を寫すとする、座敷を一方から光線の來るやうに屏風で工風をする(光線の來る方は東西南北何れでも構はぬが寫生してゐる間あまり光線の度の變らぬ處に限る)、そして壁際の畳の上に二冊の書物を置く、その排列の仕方は二冊たゞ重ねたのでは面白くない、一冊を斜に置き一冊を展いてその上へ載せる、そして線に變化を與へる、次には蔭影と光りとの調子を見てなるべく不自然でないやうな形にする、これでモデルの位置が極まつたのである。
△一方には用意してある紙を畫板へのせ四隅を留鋲で押へる、用紙と畫板の間には新聞紙四枚厚位ひに紙を入れる、または畫用紙二三枚重ねてもよい、これは用紙と畫板と直接してゐては強い線を引くとき板の杢目が畫面に現はれるを嫌ふからである。
△輪廓をとる鉛筆、即ちHBの方はまるく削る、即ち先は尖らして置く、實線をかく方の鉛筆は、軸のみを削つて心は一方のみ削りとつて扁平にして置く、即ち太い線も細い線も一本で自由に現はすことの出來るやうにして置く、そして消ゴムを手許に近く置く。
△これで用意が出來たので、それかちモデルの書物を去ること凡そ六尺程(書物の大小によつて距離は異ふ)離れた處に座を占めて、畫板を机若くは膝の上に乗せ、正しくモデルに對して輪廓をとり初める、この際モデルを見る時の姿勢はいつも同一でなくてはいけぬ、伸びたり縮んたり頭を左右に曲げたりしてはいけぬ。
△まづ横繪か縦畫かを極める、このモデルなら大テイ横繪であらう、輪廓用の鉛筆で初めに畫用紙へ十字の線を引く、それで紙の中心が極まる、即ち十字の交叉點が紙の中心である、今度はモデルを見て其中心を求める、即ちモデルを假りに平面のものと見て空中に十字を引いて見る、そして得たモデルの中心點と畫用紙の上の中心點と同一にして輪廓をとると、紙の中央に丁度よくモデルか据ることになる。
△併し紙の眞中ヘモデルが行儀よく入るのは美術的でないから、この線は故らに中心をさけて左右とか上下とかへ偏せる。
△その左右なり上下なりヘモデルの中心が極まつたなら紙へ一寸印しをつけて置て、モデルの上下と左右との比例を見る、即ち幅に對して高さが何分の一といふやうに見定めて、其端々を同じく紙に印し、そして直線で大體の外の輪廓をとる、それから内部の形ちをとつて間違なしと見たら細い點迄正確に寫し出す。
△それから後は前に述べたやうな順序で仕上てゆくのである。
△線のみの研究でなく、濃淡の稽古をするには、初めは一色のものがよい、硬いものでは石膏像、或は石膏で造つた模樣や模型のやうなものがよく、軟らかな感じのものとしては白布などがよい、また素焼の茶器、鐵瓶、藥鑵、白き陶器、一色で塗つた重箱等は皆適當な材料である。
△種々なる色彩のものを寫生して濃淡を現はすことは中々困難である、普通は白い表紙の書物も黒いそれも、同じく光りの來た方を白くして置て、蔭影だけ暗くしてかく。
△單に明暗だけの研究をするのなら、總ての色彩を只一色と見て、蔭影と光りだけを見別けて畫けばよいとも云へるが、それにしても色によつて光線を吸収する度に相違があるから、同じ光る處でも多少の等差を描き現はさねばならぬ、且其物質の表現の上からいふても、鉛筆の色によつて其趣きを見せる必要がある。
△鉛筆畫で色彩迄も現はす事になると、白い書物も黒い書物も同一の白色ではいけぬさればとて黒い方を眞黒に描いたのでは正確ではない、白いものと黒いものとの蔭の濃度にも相違のあるべき筈で、黒いものに投じた光線を描き現はすことになると、黒は必ずしも純黒ではない、即ち其黒い色の上の光線を描くのである。
△色によつて、光線を反射し又は吸攻する度に各々相違はあるが、寫眞のやうに黄を黒く青を白くするのではない、明るい色が白に近く暗い色が黒に近く出せばよい。
 靜物寫生の話は『みづゑ』第三十二、三十三、三十五、三十七、三十八にあり。
 水筒、筆洗
 戸外寫生に用ふる水筒はなるべく大なる方がよい、筆洗も大きい方がよい、小さいと直きに水が汚れて仕舞ふ、近頃角形の大きな水筒がある、水も一合以上入るやうで便利である。
 携帯には不便だが口の廣い壜でも間に合ふ、水筒の口がキルクである時なら、水の入つてない時そのキルクを取つて置くとよい、栓をしたなりでは水に膨脹しなくなるから、屡々新しきものと代へねばならぬ。
 戸外寫生にゆく時は水を携へる方がよい、寫生する塲處にあるだらうと持たずにゆくと後悔することが往々ある。
 寫生中はなるたけ屡々筆洗の水を代へる方がよい、汚ない水で描くとよい色が出ぬ、そして繪具によつては變色する恐れがある。
 水は鐵氣や鹽分のあるのを避けなくてはいけぬ。穢ない水の含んだ筆の穗を平氣で吸ふ人がある、日本畫を描く時は恁うするものだといふが、水彩畫の寫生には感服が出來ぬ、第一野蠻で見た處もよくない、そして、水彩の繪具には往々有毒の品があるから衛生上にも宜しくない、それがために綿布を用意して、剰水を口で吸取らずに綿布に吸はせる方がよい、筆洗の水の味を見たがるのは關西の人に限るやうである。(完)

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