秋季寫生會第一日

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

T、O、生
『みづゑ』第四十五
明治41年12月3日

 日本水彩畫會研究所の秋季寫生會は、第一日相模川沿岸小倉附近、第二日武州高尾山附近、第三日八王子附近と決定して、二十二日午前六時半新宿停車場集合の掲示が出た。
 前日馬鹿に暖かいので天氣が氣になる、果して夕方から曇って來た、夜になつてポッポツ來ましたといふものもある、雨天でも決行の筈故支度をして寝に就いたが、今日迄十日あまりも天氣が續いて、いざといふ時に雨とは情ないと大に天を恨んだ。
 二十二日になつた、四時過に起きて見ると、雨はないが星一つ見えぬ、江戸川筋の電燈が闇の中に二條の光を走らしてゐる。だんだんに夜が明けて來る、今日一日位ひ持ちそうな天氣工合で大に勇氣が出た。五時MY君が來る、共に江戸川橋から電車に乗る、新小川町で永地君と松平君が乗る、兩君は油繪とあつて荷物が多い、雨の時は水繪では乾きがわるく閉口だが、油繪はよいねといふたら、スケツチはとも角、油繪も冬は乾かなくて困ると永地君は云ふ。
 新宿に着いたらモー二三人來てゐた、太平洋畫會の磯部君と藤島君が、小名路へゆくといふて汽車を待つてゐられる、何處でもよいのなら僕の方へ來たまへと引張込む。そのうち段々連中が集まる、六時半に總勢二十二人皆揃つて列車へ乗込む。
 僕の室には七八名乗った、他の室には相應に面白いこともあつたらうがまだ報告がない、沿道の秋・・・・モー冬だが、今年は強い風がなくて木の葉は素敵に美しい色をしてゐる。
 八王子から横濱鐵道に乗換へた、列車は新しく乗客少なく、殆と買切の體裁である、九時相原驛に着いた。
 驛には横濱支部の連中四名、寒そうな顔をして待つてゐる、一時間前に來てモー一枚のスケツチをやったといふ。
 一行二十六人、藥屋よろしくの箱を肩からかけて、思ひ思ひのいでたちして窪澤さして練出した、彼等何者ぞと、不思講そうな顔をして見送るものは小供ばかりてはない。
 無趣味な桑畑を過ると、一里にして忽ち廣い處へ出る、前は紅葉せる槻、蒼黒な杉の森を越して相模連山が横はつてゐる、實に何とも云へぬよい色だ、左の方は所謂相模野で、低く垂れた雲、遠く展けた野、これもまた捨てがたい景色である、モー窪澤だといふので此處に三脚を据へた人もある。
 今夜泊まる車屋といふ宿へ着いて、不用なものを預け、川原へ向つた。窪澤の町の中央には大きな溝があつて、二間幅ばかりに板を敷いて二丁程も續いてゐる、YA君はこれを見て「これはよい雨が降つてもホコリが立たぬ」といふた、頗る振つてゐる、恐らく天氣でも道が惡くなるまい。
 やがて對岸の山が見える、緩やかに流れる相模川の水が見える、一行は歡聲を放つて景色のよいのを賛へた、東道の主人たる僕も大に面目を施した譯だ。
 河原に出で各々位置を求めて寫生を始めた、僕は五六の同志と共に舟で向岸にゆき、小川に架せたる辨天橋を渡つて小倉村の松原を寫した。休日とあつて小供が澤山よつて來る、パレツトを見て「このインキがなくなつたらどうするベイ」と一人が云ふ、「窪澤で買ふだらう」と一人が答へる、彼等は百軒ばかりの小さな村を大都會と心得てゐる愛矯ものである。
 寫生の終りしころ、ST君とSO君が來た、今一歩といふ處で汽車に乗りおくれたのだといふ、空は雲切れがして薄日がさして來た。
 更に一枚のスケツチを得て松原を見捨てた、僕は明日大切な用事があるので東京へ歸らねばならぬ、時間は早いが一寸見廻はつてと思つて小川のほとりに來ると、今TA君が川へ陷ちたといふ人がある、段々様子をきいて見ると、川の中の石を傳つて渉るつもりで二三歩踏出した時、大切の三脚を落した、三脚を流しては大變と、前後を顧みる暇もなく川へ飛込んだが、瀬の早い處を追廻したので殆と全身水に濡れたといふ譯て、お茶屋へ乾しにゆくやら、それはそれは大騒動であつたげな。
 再び渡船で窪澤に著いた、すぐ岸にJS君が寫生をしてゐる、小石の上に腰を下して窮屈そうにやつてゐる、きけば三脚の足を一本折つて仕舞つたのだといふ。崖を上つて見るとこゝには五六人集つてゐる、一番先のHO君も、犬の糞の諸處にある枯草の上に座つて描いてゐる、また三脚を折つたのかと思つて見ると、三脚の革の上に大きな石を一つ乗せて自分の前に据へてある、何の咒だか知らぬ。
 三時半窪澤を出發した、僕と共に歸る人はNM君とSO君とである、相原の停車場へ來たが、汽車延着で五時半迄待たされた寒いプラツトホームで皆々震へ上つて、仕舞つた。
 八王子でも一時間の延着とあつて散々待たされた、銘々辮當を一つ宛持つて漸く車室に乗込んだ、こゝでッメたいツメたいマヅい-やうな旨い辮當を食つた、旨いといふは非常の空腹であつたからで、其實隨分憐れな辮當である。
 汽車の中は恰も楓の樹の下に居るやうで、高尾歸りの人々の持つて來た紅葉で天井も見えぬ程である。薄暗い車燈はいよいよ暗く、それに延着のため、何處の停車場でも下りの汽車を待合はすので、其不愉快さは一通りではない、アヽ窪澤の連中は、今頃はさぞ面白く騒いでゐるだらうと思ふと、無理にも今夜は泊まつて來ればよかつたにと後悔の念も起つた。
 終に二時間ばかりの延着で、それでも新宿に着いて、電車で家へ歸つたのは正に十時、風呂に入つて漸く人心地になつた。
 二十三四兩日の記事及、この日の洩れたる出來事はSN君とSY君の擔當で次號に御報告いたします。

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