問に答ふ
『みづゑ』第四十五
明治41年12月3日
■一繪に潤澤なきは繪具の新古に關係なきや二自然を忠實に寫せとの説明によりヴアイオリンの絲を一直線にせしに、續いたり絶えたりした方がよいと言はれたり、如何にせばよきや三『みづゑ』紙上『編者より』の欄は無益なりと思ふ存在の必要ありや四『みづゑ』創刊以來雨の繪なし、十日に二日は雨が降る、先生方の得意もあらんが雨の繪なきは横着ならずや、小生如きなまけものも日和の繪に對して二枚位は畫いてゐる、雨の繪、夕陽曙光など見せて貰いたし(佐々木眞太郎)◎一繪具の新古よりも描法によるなり、一ケ所か幾度もコスリつけたり、不透明な色を多分に使用すると繪がドライになる、但繪の具もあまり古いのはリスリンを混ぜて、練直したらよからん二忠實といふのは何も角も見えた通りといふ意味ではない、寫眞のやうなもの博物の標本のやうなものを描けといふのでもない、一本の線を引くのでも定木をあててやつたのでは線が死んて仕舞ふ、極々の初學の人に勝手な仕事をやらせると危險だから忠實といふことをいふが、色をつけて寫生の出來る位ひの人は多少繪をかいてゐるといふ考があつて欲しい、一本の線でも器械的に無意味になつては困まる、繪のムヅカシイ處は此處にある、筆にも口にも云ふことが出來ぬ、繪といふものば悟るものである、地方に在て直接師に就くことの出來ぬ人は、多く名家の繪を見て自分で悟るより致方なし三『編者より』の欄は重に畫の短評なるが、特に『みづゑ』中繪として寄贈し來るものを採用せぬ場合に、その儘挨拶なしも氣の毒なれば、時に餘白ある場合に短評を試むるのみ、故さらにこれが爲めに一欄を設けしといふにあらねば差支なしと思ふ四何等深き理由あるにあらず、編者の手に雨の繪によきもの集らざるが爲めなり。序に畫家といふものは何でも描ける筈なるが、夫々專門ありて、自己の好まぬ畫題あり、雨の繪なしとて横着呼はりは當を得ず、但夕陽曙共によきものを得ば掲出すべし■會友にして作品批評を請ふべき紙數及繪の大さを知りたし、又募集繪畫の大きさは如何(北總生)◎毎月三枚にして大きさに制限なし、但大なるものゝ外は巻きて送るべからず、又募集の繪は寫眞版の分は大ひさ自由、中繪は四寸と六寸以下