鷄に就て

丸山晩霞マルヤマバンカ(1867-1942) 作者一覧へ

丸山晩霞
『みづゑ』第四十六 P.5-6
明治42年1月3日

 酉年に因んで鷄の所感を書て見やう、古來鷄は詩題畫題に上って、若仲の如きは專門に研究した、應擧の鷄の畫等は殊に有名である。吾帝國の歴史を溯ると皇祖太神が天岩戸に隱れませしとき、世は常闇となりけるを、長鳴鳥の聲に應じて岩戸は開かれ、常世の起原はこゝに始まつたので。鷄はこの常時より居つたもので、世界を通じて鷄は人間と離るゝ事の出來ない關係を持つて居るのであらふ。
 鷄が詩題畫題となるは、泰平。無事。平穩。平和等の感じを現はす上に詠じたり描かれたりしてゐる。洪平齋が人家の詩に、林深路轉午鷄鳴知有人家住隔溪一搗閙紅春色動酒★直在杏花西。范石湖の詩に、柳花深★午鷄聲桑葉尖新綠未成坐睡覺來無一事滿窓晴日看蠶生。陶淵明の歸田園居の詩の一節に、狗吠深鷄中鷄鳴桑樹顛。其の他の詩句に、桃李花間鷄犬聲鷄鳴紅霞裡鷄鳴柳絮飄等何れも平和なる田園の感じを歌ふて居る。俳句和歌はいふまでも無く、西洋にありても鷄の詩題畫題に上るものは東洋と仝じである。ミレー又はモーブの田園生活の畫、其他田園詩人は何れも描寫して居る。田園に趣味を有して居る自分は鷄を好愛して居る、鷄の聲を聞くと田舍を思ひ、田舍の畫に鷄が無いと何となく物足らぬ感が起る、田園は何時も平和の氣が滿ちて居るが、彼等の尤も活動する盛夏にありては、こゝも意味の異なる喧擾を極め居る、この點に於て比較的鷄鳴や鷄の添景が眼立たぬ、されど人々は皆耕しの野に出で、留守をまもる老嫗や犬や、さては鷄の群が清翠滴る木蔭に眠れる光景は平和の感の好材料である、平和なる田園を畫題として、鷄を添景として好適なるは春が尤も調和して居る、桃苑麥隴の間に藁舎あり、菜花二三そこに黄金を點じ、赤冠黑白の鷄群と、機杼の乙女兒守の老嫗を配したらんには、如何に平静なる温和なる畫題ではないか。薰り深き春の夜は、鷄鳴に明け、淡紫の曉色炊烟深き香霞、遠近の村落より鷄鳴を聞きし感は如何芳樹閑花茅舎見え、一聲の鷄鳴風無きに飛花亂るゝ感は如何、更に秋の田舍にありて秋穫の庭に群るゝ鷄、霜又は汞雹の庭に楓の根を印するもの、落葉の中をガサガサと食求るもの、霜枯れし芭蕉野菊の亂れし籬邊、南天の實赤き藁舎の隅、山茶花吹きて柑橘の黄熟せる竹舍、喧を避けたる隱士が柴扉のもと、殘柿赤き稻むらの畑、曉發遠村鷄鳴等、皆これ平和を現す好畫題である。
 立科山の偃松帶や、淺間山北面熔岩帶に露宿すると、曉明の頃靈鷄が鳴くとの事で、前者に宿りしときは聞かなかつたが、後者に宿りしときは慥かに聞たのである、何處で鳴くといふて指摘する事は出來ない、空で鳴く如く、地中で鳴く如く、一種の靈氣に襲はる樣な氣がした、余は靈鷄と信じ詩的に味ふて居つた、其後或學者にこれを語ると、靈鷄でも何でも無い、信州は高原で空氣が透明して居るから、遠い村落で鳴たのが聞えたのである、殊に動物の聲で遠音に響くものは鷄に續くものは無い、遠くに送る篭話で人間の聲は届かなくも、その附近で鳴た鷄の聲は判明に通じた等と余分の説明までしてくれた、これは學説として間遠ひはあるまい、されど美感を科學的に説明すると畫も詩も出來なくなる、自分は矢張り今も尚靈鷄として深くは味はつて居る。(了)

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