マクワーター氏初學心得

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第四十六 P.7-9
明治42年1月3日

 マクワーター氏は英國ロイアル、カデミー正會員にして風景畫の大家なり。イースト氏は温健の畫風を以て鳴り。マクワーター氏は優艷の筆を以て賞せらる。左に氏が近著水彩風景畫帖より初學の心得を抄譯すべし。
 常に手帖を携帶すべし。記臆力は中々急には養成されるものに非らず。今見る佳絶の光景はいざ寫さんとする中には忽ち消え失す可ければ。此の如き場合には先づ之を手帖に覺へがきして。後に我記臆より畫くの外なし。
 時間なき爲め輪廓を取り又た繪具を塗ると云ふ兩方は出來難き場合には。先づ輪廓だけを丁寧に取つて置き。色彩の關係が我記臆より消へざる内に其の輪廓の上か又は別の紙かに繪具にて畫くべし。此方法にて練習積まば遂には我が目撃したる種々なる光景。佳麗なる事物を心の眼の前に現出するを得るに至るべし。
 模寫と云ふことは敢て之を奬勵せざる考へなり。模寫のみを事とすれば他人の眼を借りて白然に對すると云ふ嫌あるべし。凡て自分は自分の考で見ざる可からず。獨立獨行して遂に失敗するとも。他人の驥尾にのみ附隨するに比すれば寧ろ優ること數等なるべし。然れども先輩大家の作品を熟視して深く其妙所を會得することは無論有益なるのみならず。世の名品傑作に接して其各部を模寫し。以て大家が遺風を探究することは益こそあれ毫も害あらず。例へばターナー筆「霜深き朝」の前景の如き。又た同畫家筆「ハロードの行脚」「渡頭」「バイエーの入海」等の遠景の如き。皆模寫に好きものにして何れもトラフアルガー、スクエーアのナシヨナル、ギアラリーに陳列しあり。其他ミレイス筆「盲目娘」[オフエリァ]の二圖に於て。其かきこなしの妙と空氣の工合。殊に「オフエリア」の方の薔薇の植込と柳とは。或は水彩畫にては模寫難からんとも須らく試むべく。又同畫家筆「尼が墓を掘る圖」の背景も亦模寫の好材料なり。「盲目娘」はバーミングハムのコーポレーシヨン、ギアラリーに。「オフエリア」と「尼」の二圖はテート、ギアラリーに何れも陳列しあり。
 右両大家の妙處を探究し盡さんことに中々容易ならずと雖も。先づターナーより學ぷべきは。光と空氣及び山や雲の畫法にあり。ミレイスよりは何として凡て學ばざるはなし。此畫家の作は皆健全にして何れも愛すべし。「薄寒き十月」等の風景畫の如き。其感想は凡て詩的なると共に併かも自然より受けたる忠實にして且つ杜撰ならざる手法を以てせり。然れども此畫家の風景畫の傑作としては。前に舉げたる如き人物畫の背景に多く之を見るべし。
 風景畫家は皆生れながらにして記臆力に富めるものなれども尚且つ之を養成開發するの要あれば。前に述べし如く迅速に覺書を取るの方法を練習すべし。或ば時に數日若くは數週間一本の樹の前に座し。力一杯其美しき有様や巨細の趣を寫生するも可なり。草。苔は勿論。棒千切。柔らかや硬き石。岩等をも畫くべし。殊に花を研究すべし。花瓶に挿したるものでなく庭や路傍或ひは山路に咲ける花を畫くなり。花と云ふ中には無論葉などをも含むなり。此の如くして手帖に練習を積み。叉た雲や山等をも研究する中漸やく我能力も發達し。終には一度見た景色と少しも違はず其感じの儘に畫くを得るに至るべし。感じを畫くと云ふこと即ち印象派に二種あり。即ち只大體の漠たる印象に依れるが如き一派(尤も此派の作品中には甚だ興味あるものもあり)と叉たそれよりも更に有力なる印象に依り。他の印象派が見たる處は皆之を見たる其上に猶色彩や細部分の關係。物質の状態等をも悉く記臆して之を描出すると云ふ一派なり。ターナーは風景畫に於て印象派中獨歩の大家なりとす。
 時としては畫家が如何にして出來たか自分にも分らぬ内に傑作が仕上ることあり。要するに一枚たりとも研究の作ならざる可からす。
 洪水。激流の如きは一氣に筆を走らする時は其急奔の勢を助くべし、風に飛ぶ暮雲。其他急速に動く物體は皆此筆法にて畫べし。木の枝。葉。花等には風に揺らるゝ場合の外にかく急速に筆を用ゆるの要なきなり。白を用ゆる場合は。光を烈しく現はす時か。若くは畫を強く畫かんとする時にあり。例へば青空若くば曇れる空に黄色の葉を畫かんとする時には。先づ樹木を白のみにて畫き。乾いてから黄色を其上に掛ければ少しも色の透明を失ふことなく。白を用ゆる上に於て之れ最良の方法なりとす。白を用ゆるも變色の憂なし。併し一般初學者の爲めには白を用ゐず凡て透明色のみにて畫くを可とす。之は色が濁ることなく又た重くならざるが故なり。(終)

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