雪について
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第四十六 P.13-19
明治42年1月3日
▽本年の御歌題は『雪中の松』である、松については昨年も一昨年も本誌上に講話があつたから今年は雪について其描法及心得をお話する。
▽雪月花といはれて雪は風流なものである、その白皚々たる光景は壯美であると共にまた極めて優美の觀を呈する者である、從つて古へより詩歌俳諧に歌はれ、同時に好畫題として畫家にも大に喜ばれてゐる。
▽雪は山によく水によく市街によく村落によい、常磐木の森に積れるもよく、枯木の林に銀の枝をつけるもよい、川沿の水の暗きに小舟のみ白く泛べるもよく、廣い野の道に二筋三筋轍の跡の殘つてゐるのもよい、曉によく夕暮によく月の夜に殊によい。
▽詰らぬ景色も雪のためによくなる、穢ない場處も雪のために清淨なる、手もつけられぬ複雜な處も雪の爲めに面目を一新する、雪は風景畫家にとりて甚だ都合よき材題である。
▽雪の景を寫すには何よりも水彩畫が一番よい、油繪では初歩の人には雪の感じを出すのが困難である白い紙の地を利用する水彩は確に雪景を寫すに適してゐる。
▽雪は色彩を明らかに見せるものである、今迄何色とも考へつかぬ庭の木の幹も、雪のために四邊が白くなりてその幹だけ明らかに見らるゝために色がよく分る、白といへる地の領分が多くなるために個々の色彩は自然判明するのである。
▽雲は白いものと極めてはいけぬ、白いものは、やがて他の影響を受くることが多いもので、一枚の雪景圖に眞の白い處は唯一點よりはない筈である、光線の府、即ち視點に於てその明るき場處に白色を認めれば認むることが出來やう。
▽併し多くの場合にこれさへ白色といふ事は稀である、若し天氣のよい朝なら、華やかな紅色の光線に包まれて雪は薄紅を帶びるであらう、そして其蔭影の部分は淡綠色になるであらう。若し中央の空が蒼色なら、空に面した蔭の雪はその色を反映してコバルト色を帶ぶるであらう。若し夕陽に對する時は、其向ふ處の面はオレンヂに、其蔭影は紫色を含みて見ゆるであらう。若し空が曇ってゐたなら一體に鼠色になるであらう。白といふは比較上の言葉で、特に純白といふ處は殆とないものと見てもよろしい。
▽この故に雪は色彩の關係を研究するに尤も適してゐる、同時に濃淡の調子を調へることが甚だ困難なものである。
▽一番困るのは遠近の區別のつけ惡いことである、向ふの山も中景の屋根も前の畑も一面にただ白く見える、白く見えるから其儘ワツトマンの白を殘して置たのでは、其繪は决して自然を見るやうに深く見えぬ、奥行がない、すると、自然の景色がただ一面に白く見えるのは誤りで、其間に必ず濃淡の相違があるといふことか分るであらう、これを正確に見出すのが困難である。
▽曇つた空に松に雪が溜まつてゐる、雪は白いもの曇つた空は鼠色のものと考へてゐると往々間違が出來る、試みに空へ突出した枝の雪を見ると、曇つてゐる空の方が明るく積つてゐる白い雪がそれよりも暗く見えることがある。
△燻つた羽目板、木の幹、常盤木の葉など雪の中では著しく暗く見える、これは元々そんなに暗い色ではないのが、雪の白いために際立つてそう見えるのである、此時雪を白いものとして中の地をその儘にして置て暗い處ばかり濃く塗る時は、平板になつて自然と違つたものが出來る、雪にも色のあることを見出して、雪の方をも暗くしてゆくと調子が整ふ。
▽雪の寫生には出來るだけホワイトを使用せぬやうにしたい、品のよい紙の地を殘して置た方がよい、ホワイトの使用法がわるいとポテポテして綿のやうに見える、サラサラした雪の感じは出ない。
▽雪は多くの色彩に調和するものであるが、あまりよく晴れたる―雪のあした―の蒼空に、屋根などの白く輝いてゐるのは對象が強過てよくない、やはり朝か夕がよいやうである。
▽寫生の場處として何處として可ならざるはなしであるが、極手近な處にイクラもあるから、遠方迄出掛けるに及ばぬ、家の廻りの井戸端の一隅も面白からう、門外一歩往來の雪もよい畫題である、狭い小路、橋の袂などもよく、河岸地にいろいろの物が積まれてあるその上の雪も風情のあるものである。寒くつて戸外へ出るのが厭なら、硝子窓越しに庭の松の木を寫すもよく、隣りの草屋根を描くもよからう。
▽不斷の雪を見る北國、または一度降つたらいつ迄も融けぬといふ寒國ではゆるゆる雪の寫生が出來るが、暖國で雪を描くといふことは甚だ忙しいものである、降り止んでからでは間に合はぬ場合もあるから何處かの軒下へ入つてやるつもりで降つてゐるうちから出掛けるがよい、東京近處では可なり久しく雪は地上にあるが、風のために樹枝の雪を寫すことが出來ぬ。
▽朝とか夕とか雪に色のある場合には、輪廓をとつて後ち直ちにその時の色で畫面全體を塗つて仕舞つて、それから細部分を描いてゆくと、大して調子に誤りがなく出來る。
▽雪の寫生の時注意すべきは眼を大切にすることである、それに輝いた雪などを久しく見詰めぬことで寫生中もたえず他の暗い處へ眼を轉して休息を與へねばならぬ、そして、久しく同一の處を見てゐると、直感した現象が變つて寫生の目的を達し得ないことになる。
▽冬にあらざる他の季節に見る雪、即ち深山の雪や遠山の雪にいつては他日重ねて所感を述べることとする。(完)