文學博士藤岡東圃氏『日本畫の將來を思ふ』中央公論


『みづゑ』第四十六 P.22
明治42年1月3日

 繪畫に於ける眞の新派は何派にある、西洋畫是なり。敢て問ふ、西洋畫はおのづから西洋畫なり、これをして日本畫の新派といふべきか。然り。西洋より傅へたるよりいはば、即ち西洋畫なり、繪の具の同じきよりいへば、即ち西洋畫なり。然れども日本人の畫くに至りては、既に日本畫なり。日本人の思想を發表するに至りては、既に日本畫なり。但模倣の域を脱せざるに於ては、未だ日本畫と成り了らざるのみ、鎔化陶冶、敵の銃砲を奪ひてわが有と爲せば、是れ元來の巳が武器に同じ。繪の具の如きに萬國通有のもの。丈學に於ける國語の墻壁と選を異にす敢て區々としてその異國に拘泥する勿れ、况や傳統の内外を論らふが如き死兒の齢を數ふることをや。(文學博士藤岡東圃氏『日本畫の將來を思ふ』中央公論)

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