石井柏亭氏『一方寸言』の一節 方寸より


『みづゑ』第四十六
明治42年1月3日

 石井柏亭氏の『一方寸言』の一節に曰く
 ビチユーム畫の月並、道路山水の月並、寺院の内部の月並、そんなものには過去になつたが、今又それに代る月並が出來てゐる。月並派の迷信の條々を數へ立てれば種々ある。彼等は鳶色を避けることが近代畫家の義務のやうに思つてゐる。墨は使つてにならぬと思つて、日本人の頭髪でも黒い衣服でも彼等は皆青く畫くのである。彼等は意味もなく日射に恐悦して、灰色の羽目板の光まで殊更に黄色にしなければ氣が濟まない。眞面目といふことは面白くもない畫題に取付いて幾日も幾日も突つくことゝ心得てゐる。筆が働くのは輕浮と稱して、一圖に筆を鈍ぶらしめる。彼等は自然の濃淡の階級に勝手な變更を施すに慣れてゐる。色は成るべく眼に障らぬ樣に心懸けて不透明色を愛用する。遠方の森には必ず空氣がかゝらなければならぬと思つて、粉つぽくしなければ承知しない。赤や黄や青の點々でこね上げなければ空の深みと光とは出ないことゝ定めて居る。物と物との境界はぼんやり畫くものと思つて居る。余は之等のものを呼んで月並派の迷信と云ふ。
 月並派の甘つたるいものゝ外に好奇の一群があつて、泰西畫の複製から思ひついた怪異の試みに世人を赫すことをのみ心懸けて居る、其不眞面目にして日本の自然を蔑視する點に於ては同一である、余は月並派の甘たるき「普遍」を避けて、而かも好奇派の怪に陥ることなく、自然の「特殊」を發揮せんことを欲する(方寸)

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