秋季寫生會第二日第三日
白鴎生
『みづゑ』第四十六
明治42年1月3日
日本水彩畫會寫生會第一日の續きを御覽に入れやうさて僕等はTO先生と相原驛迄汽車の室を異にして乘つた、車中では隨分騒いだSK君が室も破れよと許り琵琶歌を吐鳴つて乘合ひ客の肝玉を顛繰返したのは蓋しその隨一であらう。
夕方にはTO先生及び二三子に歸られ、我々も皆三四枚のスケツチを得て旅宿車屋に立戻つた、たるんだ腹の皮が滿を張つて、樂しい旅宿の夜といふ領に這入た、藤島先生の謠ひの聲が別室から聞えたが、やがてやつてこられて羅漢廻しといふ遊戯を發議せられた、有志が十人許り揃つてやる、掛け聲、「羅漢さん羅漢さん羅漢さんが揃うたらそろそろ廻そじやないかスツチヤレチヤラチキチヤンチヤン」各自が色んな形をして順に廻して往くといふ遊戯、間違へたものは隱し藝をするのである、かくて床に這入つたのは十時頃であつたが、くら暗の中でFO君が得意の咽喉を聞けよとばかりこわいろをうなるOJ君がはね廻る中々に眠れなかつた。
いつの間にか落ちた熟睡から寐めて眞暗な室をゴソゴソ起き出て雨戸を少し繰開けて見ると有明の空には殘る星がまたゝいて居る、時計を見ると五時半だ、顔を洗つてST君とKO君と一所に村の入口の方に往つた、川の方へは大勢往つた、今朝程綺麗な色を曾て見たことがない、輪廓を取つて朝日の出づるを待つて居ると、やがて雲間を破つて二十三日の朝日が照り出した、遠山の頭にボーッと日が當つて赤くなつて居る、近い山は影になつてコバルトその儘の色だ、オリーヴの松、カドミユームの槻、一時間許りは手足の指の千切れるやうな冷たさを辛棒して畫筆を採つた、宿に歸つて火鉢に早速かぢりついた。
八時頃車屋を出發、村はづれへ來ると永地、藤島、磯部先生等が寫生をして居られた、此處で一同KM君を煩はして寫眞を撮つた、永地先生等は寫生の爲め久保澤に殘らるゝので別れを告げて淺川方面に向ふ。
初めの計畫では隧道を一つ抜けるといふ事で、幹郡からは三本の蝋燭を携へて來たのであつたが、村人に道を聞くと隧道を抜けるなんて非常な廻り道だから元來た道の方から往けといふ、又中間を取つて往けといふものもある、頗る迷はざるを得なかつた、で近道をする人と相模川を沿つて往く人と二組に別れた、僕等は相模川の岸に沿つた水道の爲めに設けられたとかいふ途を上流へと進んで往く。
昨日に變つて晴れたる青空、紫の山、赭色の山、赤色の山、白い水、これらが可い調和をなして我々の前に忻然として横はつて居る、半里許り往つた所で三脚を据えた我々の居る所は水より五六十尺高い所に居るから景色が大きい、此處で二時間許りやって出發した、廻り曲ねつた紅葉の道を往く事二里許り、下久保と謂ふ村に着いた、此處で道を尋ねて急な山路を登る、少し前へ登つた横濱支部の蓮中を大聲で呼ばり乍ら、苦しい思ひをしてやつとの事で頂上に着いた、此處からは遠くの方に相模野、名も知らぬ廻りの山々、遙かに富士山も見える、今し方歩るいて來た途は有るか無いかのやうだ、スケツチブツクへ描き留めて山を降る、至つて樂な降り道を一里半程、淺川町の花屋旅舍へ着いたのは四時頃であつた。暗くなる迄少し間があるので流れにおりて岩を寫生した、水車を寫生するものもある、半ばならずして日はドツプリと暮れてしまつた。
夜は例に依つて繪葉書を描くもの、繪の修正をするもの、琵琶歌を迂鳴るもの樣々である、隅の方では誰かの意氣な小唄が聞える、夫から又羅漢廻しをしやうと早くから寢て店たFO君やHN君を引起して大に騒ぐ、仕舞には誰彼なしに隱し藝をするとなつて、色んな面白い藝が見られた。
明れば二十四日、寫生旅行は今日でおしまいである、矢張昨日のやうに皆未明に起きて思ひ思ひに出掛けた、僕は少し離れた町を寫生する、今朝は非常に寒い、寫生をして居ると丁度此前の大磯へ往つた時のやうに一筆毎にざらざらと凍つてしまう、可い加減に突ついて宿に歸ると今描いた水畫が解け出して目茶になってしまつて居る。
豫定では今日は八王子へ往つて其附近で寫生して其處から汽車で歸のであるが、八王子へは往かずに此附近で寫生しやうと謂ふものが多數なので此處から汽車で歸る事に決定した、FO君とTH君と橫濱の一人は宿屋の待遇が氣に入つたか何うだか知らぬがもう一日滞在するといふ、で朝飯が濟むと皆自分勝手な所へ飛出してしまつた、僕はSN君YA君CM君と一所に町の水車を寫生した、描了るとひる頃になつたので茶店へ這入つて辨當を喰つた。
もう此町に居るのもあと僅に五時間の余、餘り緩りして居られぬと、其處を飛出して、小山の上へ昇つたが描く可きものがないので又溪流へ降りて、寫生をした、短かい日足は容赦なく傾く。急いで町の中に出で夕暮れの水車を寫す、手元が暗くなつたのでそろそろ停車場へ往た、往つて見ると誰も來て居ない、はて面妖なと其處らあたりを探すと角の花屋支店の中で、畜生めわいわい騒いで居る、紅葉羊美や百合羊羹をかぢつて居る人もある。
五時五十一分には少し遲れだが我々は皆車中の人となつた、おさらばよ、暮れ往く淺川の町。
來る時となら人數は減じたが元氣は衰へぬ、羅漢廻しなどをやつて室中の乘客を驚かしたが、一時間半の後には紅塵萬丈中の人となつた。(完)
○久保澤では薄團が不足で寒いとコボシてゐた人もあつたが中には下へ三枚も敷いて上へ三枚もかけたといふ横着者もあつた○髪の毛の長い人は外國人か支那人だらうと宿屋の女中共に怪まれた、あの聲からして日本人とは受取れぬ、あの歌も毛唐くさい○車屋はお茶代をやつたのに菓子も出さぬ、そして此家で觀世音を勸請して來た人も二人程ある○それは支那人か外國人かといはれた人ではあるまいか○宿屋で申受けたのではなく前から持合せてがなと云ふ人がある○花屋は氣が利いてゐる直ぐお菓子が出た○僕の分はこれでよいと言ふて早速懷ろヘスツケチして仕舞つた氣の早い人も居た○湯に先へ入つて意氣揚々と出て來たはよかつたがお盆の上は煎餅の缺けばかり○淺川の羊羹は名物だけれど旨い(話にきいた人)