寄書 關山瞥見

BK
『みづゑ』第四十六
明治42年1月3日

 世はおしつまりたる師走の下旬、小閑を得て越の關山に遊ぶ。車中に工女數名あり。血色なき顔、憔悴れたる容にも、それと知らるゝ彼等の境遇、殆ど機械視せらるゝ彼等の待遇に想ひ到りては、座に同情の念禁ずる能はざりき。傍に東京歸りの一學生あり。意氣銷沈、愁に堪えざるものゝ如く、うなだれたる頭な擡げて太息吐く。久々にて家庭の人となり、新年を迎ふる樂しき歸省ならで、しかく彼を愁ひしむるはそも何物ぞ。失敗か病魔か果た何の懊惱ぞ。彼は窓に凭て卷煙草くゆらし始めぬ。我も亦車窓覗き、來し方を顧れば我家の方に高く光かるは雪の四阿山か。柏原よりは全く雪國に入りたるの感興湧けり。遙か左に屹然聳ゆる妙高の氣高き姿、白衣を纒ひて立てる聖者の如く、裳は長く地に曳きて褶襞、起伏蜒蜿、間々痩枯槎々たる空林、暗黒壯重たる常盤樹、斷續並列せり、そが蕭條たる中にも、尚閑雅幽邃潔浮淨なる冬の趣致を觀得べく、亦躍々たる活氣の人を襲ふを覺え、瓢々の寒風も山仙の奏する冬の曲と聞けば何のその暫らく此自然に恍惚として、今や自然に同化せしと思ふ間もあらせず、身は早や關山に運ばれたり。
 時は既に薄暮に近かりき。旅装を改むる遑もなく、用意の道具小脇に、よき處探り出さばやと彷徨ひ出でぬ。忽ち眸に入りしは暗褐色なせる杉の林、松も見ゆ。白裝せる妙高の連山を遠景に、高く低く黄褐色の枯草に覆はれ見ゆる稻田を前景に早くも一牧のスケツチ我ブツクに収まりぬ。此杉を中景に位置更へて三度寫しぬ。水彩に色鉛筆に亦墨繪に。尚惑ひ歩む中に日脚短き冬の中とて日も西山の彼方に落ち、只山際の空わづかに黄橙色に明るし。平和ならずや此夕、模糊たる帷を透きて燈火點々、なぞ逸すべき此好景。
 暫く去るに忍びずして低徊顧望するに、早くも一種の靈氣我に迫るを覺えぬ。暮れ行く冬枯の野面に立てるは只縹渺たる妙高と我のみ。彼に對せし其一刹那の我神!黄昏の寂寞に耳傾けし其瞬時!そも現身なるか?料らざりきかゝるインスピレーシヨンの我胸に通はんとは。吾はしも今自然に直感せるなりき。我に歸れば、佇みし徑はわづかにほの白く弦月低く西の彼方に懸れり。空腹を感ずること甚しかりければ急ぎ宿に歸れぬ。
 明日關山の町を俳徊す。四十餘年の往昔は越後街道の一宿、有繋に其面影は殘れども、今は只寂びれ行く世の態や。關山神社に詣る妙高の里宮とか、欝蒼森なせる老杉、色褪せたる華表、頽廢せる社祠、皆よく變遷を語る。此地に來り實際を看て一驚を喫せしは、婦女のよく男子にも劣らず勞作に服することにて、豫ねて聞きしに違はぬ越の風習、都人士等の觀なば其奇異なるに驚くべし。家並の面白き所二ヶ所寫す。間もなく雨に追はれて宿に逃げ歸る。此日上り三番にて歸路につきぬ。車中に在りても尚彼地に在る如く、殊に遣憾なりしは音高き北國の雪景を觀得ざりし事にこそ。

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