寄書 水彩畫史及所感
田吾作
『みづゑ』第四十七
明治42年2月3日
私が水彩畫の趣味を知たのは四五年前で、其端緒は七年前學校で一年許り兒戯に均しいことを習て水彩畫なるものを知た、其の後数年更に顧みなかつたが其後友人の筆になれるものを見て畫の趣味あることを知り一度畫筆を手にせんと繪具及用品を調へ試み而て其色彩の容易にあらざるに於て失望した、其後は臨本寫生に、不完全の野外寫生に數十葉を試み、如何にして友人は斯くの如き色彩を得しかと數十回の殆ど失敗に終れると其色調の輕易に得られざるを知ると共に余の水彩熱も巳に挫折せんとせり、是の際一つの興奮剤を得た、即ち一葉の繪葉書は旅行先の親友TH君より投ぜられたるもの、其畫のTH君の筆になれるを知り、其色彩の高尚なるに驚き、斷念か中止の點は飜て奮發心となり、直に水彩畫の栞を求め黙讀數回大に得るところあり、又模寫に寫生に數十葉を筆にせり、然れども其三四を除くの外は全く見るべきものなし依で心に思へりこれ必ず使用品の悪しきためならんと、而して自己の手腕如何には充分思及ざりき、この思は暫時にして足れり即ち用品は不足なく整ひたり、直に試み見事失敗せり、斯くしてこそ眞く畫の趣味も知るを得べく自然の大景にも亦親むを得べく、畫趣なき人の想像だに能はざる眞味も亦解するに至るべし、然れども、もと水彩畫專門を以て世に立たん决心もなく、其高尚なる、其究りなき自然の彩色に師事し、以て心身の高潔を得んがためなり、故に其進歩の如きもまことに微々たるをまぬがれず、然れども、健忍不抜以て進まば半歩の遲々尚ほよく彼岸に達するのときあらん、たとへ其進歩は遲々たるも其精神的有形無形の効果に至りては枚舉するに遑あらず、まことに大下畫伯の言はれしごとく直覺的には心神の高潔健康の増進等其無形の効果に至ては頗る大なるならん、是れ田吾作と共に實地、諸君の認識せられしことならんと信ず、されど我作品に至ては依然として兒戯の域を脱せず自ら苦笑しつゝあり。