寄書 我が寫生

佐藤秋湖
『みづゑ』第四十七
明治42年2月3日

△「みづゑ」を購讀し初めたのは去年の一月からで、之れからは早く寫生の人となりたいと云ふ念が絶えませんでした、尤も其の以前に宅不正確な鉛筆寫生をやつて居りましたが、尚ほ黒繪の素養が必要とのお話から七八月迄繼續して居りました、然し遂に堪え切れなくなって半ば手製に半ば買立と云ふ不完全な道具を抱いて初めて水彩寫生を試みたのは炎暑燒くが如き八月下旬でした、松川原の裙、人焼場の煙筒と短き杉の樹立とを望むだ景で、常は容易な色と思つたのが筆を取つて向つて見ると中々現はせず、幾度か洗つて、漸く出來たのが極めて不自然なお耻かしいものでしたが、それでも自分の手になつたものだと思へは何となく愉快に感ぜられました。
△次の寫生には、廣々とした青田の遠く樺色の鐵橋を望む景で、中途村の子供が二三人又五六人集つて來ました、ハヽヽお誂ひ向きだと微笑まれましたものゝ畫が畫なので氣の毒にと思ひました、其の後此の頃では田舎家、黄色の田野、山間の紅葉等試みて居りますが、其の都度筆や道具に不足を感じて、最初のスケツチブツクが木炭紙となり、此の頃はワツトマンを使用して居る次第です、試みに位置撰定事頂を舉げて見ますれば、可成人の來ない單純にして色彩の豊富な面白き場所なんです、自然も此の註文にはちと當惑するでせう。
△寫生を初めてからは無頓着であつた自然の變化が非常に面白く感じます爲めに、時の一刻も實に惜しいやうに思はれます、秋の夕野末に立つて無限なる自然の美彩にあこがるゝ時、あゝ思ふまゝに寫し得たならばと嘆息するのです、「みづゑ」の口繪及び記事が如何に私を喜ばしめませう、野外に出ては精神が清浄になります、不快感がスツカリ拭ひ去られます。
△私は永く偉大なる自然の懐に抱かれつゝ行きたいと思ひます、あゝ無限の慰藉者よ!!!

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