圖按法概要 [五]圖按の應用と智識(承前)

比奈地畔川ヒナチハンセン 作者一覧へ

比奈地畔川
『みづゑ』第四十八 P.6
明治42年3月3日

 今や洋畫の新趣味は一般の装飾品に輸入され應用せられて來た、殊に美術界に於ける此趣味は構溢として潮の如くに打寄せて其勢はすさまじい、けれども明治の美術界は未だ過渡時代にあると言はねばならぬ、一般の趣味は和洋混亂して一の統一がない、特徴がない、反復と模倣と混成とによつて形作られて居る、これで明治の美術が形作られたとすると情けない、思ふに、時流におぼれ西歐の糟粕な甞めてつまらぬものを作るより、自家個有の善美なるものを根柢として作らなくてにならぬ、けれども今云ふ處の自家個有の物を作るといふは材料や手段を云ふのでない、材料は油繪具でもフレスコでも水彩繪具でも何を用いてもよい道理である、要は個有の趣味特徴を發揮しなくてはならないといふのである、アールヌーボー式が佛國に起るとすぐとアールヌーボー式を模倣する、如何鳳るものでもアールヌーボー式でなくてはならぬといふことになる、近頃まれゼツセシヨン式が流行しだした、今に一から十までゼツセシヨン式でなくてはならぬやうになうかもしれない、けれどもかゝる模倣時代を通り過ぎて、一ッの特徴あるものが出來る時代が來る、明治も今にそのやうな時が來る、すべての藝術はさういふ順序を追ふてゆくのである、試みに奈良朝の盛時を顧みても、その初めは一般の文物が一も二も支那流三韓流でなくてはならなかつたのである、それを模倣し反復し混和した最後に、初めて脱化されれ奈頁朝式のものが出來たのである、實にその時が望ましい、縮緬の紋付へ鳥の毛のシヨールを纒ふて得々たる時代も永くはあるまいと思はれる。さて、圖按に智識よりも技能、或は技能よりも想のものであるといふてよいかもしれない、一體説明によつて技能家を作るといふことは無理な話である、けれども今圖按家は何を心得てよいかといふことだけの質問に答へるである。
 まづ圖按を學ぶ方法として一定の凖備と用意に付ては
  第一、何物も畫き表はすことの自由なるべきこと。
  第二、然も形を正しく且つ觀察の精細なるべきこと。
  第三、熟練。
  第四、考證。
 以上の件を具體的に設明すると
  第一、一色畫の研究。 一般の形體を寫生する手腕の養成としてはこれに如くものはない、一名デツサ ンの素養を作ることなり、前項にも述べし通り、石膏人體の寫生、解剖の研究がすべての基礎とな る、修業年限は限りなし、少くとも數ヶ年以上。
  第二、 用器畫法、幾何畫法の素養智識を嚴正にすること。
  第三、 自然一般の研究、殊に動植物に圖按の資料として最も必要なるもの故、精細なる觀察寫生解剖を 研究し是と同時に色彩陰影の研究。 殊に埴物のプロホーション、其生長の主要點研究に圖按を學ぷものゝ決して忘るべからざ る處のもの。
  第四、 消極的の方面からは有職故實、一般文學、審美學、東西美術史、古代の遺品装飾品、各國各代の器具調 度、古今風俗の變遷等、之等によつて見聞智識を啓發し間接の利益を得ることは多大であらう。
 熟練といふことは勉強と時間の上の問題であるから説明の限りでない、今二三項圖按家の心得べきことは、
  第一、 時勢の變遷によつて形の自然に廢れるもの、或に便不便によつて形状の推移してゆくもの。
  第二、 用途上期節の相違、人類の嗜好習慣の相違によつて趣味嗜好を見極むること。
  第三、 關係を持つ處の周圍の事情によりて圖按そのものを損傷されざる様留意すること。
 尚細目に渉つて言ふことはあるけれども、追々項を改めて説明することゝする、何れも自己が智識と経驗と技能とによつて立派なものを作り得るやうになるのであらう。
 それから、今一つ前人の作を借りて以て斟酌し折哀して一圖按を得る場合もあるけれども、これに剽窃でなければ模擬、模擬でなければ不調和などに陷つて、其目的を達することが六ヶ敷い、三越の元禄模様、白木屋の芦手模様などをみても思ひ半ばに過ぎるものがある、具眼者のなすべきことではなからう。(禁轉載)

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