『赤の研究』
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佐々木眞太郎
『みづゑ』第四十九
明治42年4月3日
賣り物には紅をさせとなむいうめる、赤は僕が最も好む處の色彩である。今や諸君の畫嚢は緑なす柳と紅き花とを以て充たされむとする時、赤色の感想を談ず又可ならむや。
僕が茲に述べんとする處は赤色の圭觀的研究であるから直ちに諸君の寫生帖頭に見はれて天晴功妙を奏する事は少ないであらうが、一般の藝術的智能を養ふ上に多少の功果なからむやと慮ひて。
本題に先つて言つて置かねばならむ事は赤は最も強く人の目を刺戟する事是れである。諸君試に色彩を備ふる數種の紙片を兒童に示さば直ちに赤色を撰ぶを見るであらう、(勿論例外はあれど多くの場合に)是れ實に正直なる心理的實驗であつて這般の事實を證するに足る一例である。故に汽車電車等の危險信號にも赤色を用ひて居るのである。是れを人の事跡に考ふれば、昔者日蓮は緋衣を着て辻説法を試みた。今茲岩谷天狗は赤い招牌で巨萬の富を得た。兩者に科學的智識は無くとも斯邊の消息を解したる者である。
又是れを自然界に求むれば、花の色に赤の多き。菓實の成熟して赤色を呈し又は是れに接近せんとするが如き。共に動物を誘ふて生殖の作用を助けしめる造化に妙計である。
連翹の黄色淋しき緋桃かな 格堂
赤い實のものか何やら雪の原 可全
以上述べた如く赤は刺戟の強ひ色であるからに靜止の色で無い陰氣の色で無い、活動の色である、陽氣の色である、高調である、男性的である。故に醫家は憂欝性の癩狂病者を赤色の室に投じて多少の與奮を得せしむると言ふ。それで、愈本題に取りかゝる、さて
▲赤は強い色である。猿田彦尊は諸神の中で最も力強き神である、そして彼の全體を赤色で彩るのは何人かの理想的施彩であつて、最も克く強の表情を得て居る。又繪にかいた金時や寺門の二王なども皆此の例に同じ理由である。色彩の表情を最も巧に應用する彼の舊劇に於て是れを見るに、曾我對面場の五郎の顔の如き猿隈や、鱶七などの赤面は誰の眼にも強と壮の感を示すであらう。
閻王の口や牡丹を吐かんとす 蕪村
辻相撲頬桁赤きいきりかな 水巴
▲赤は壮の色である。紅なす曉天の美、朱を流す夕陽の觀、誰か壮觀と言はさらむ。壮觀は其量多き場合に於て見る事の多きは獨り赤色に於てばかりで無いけれど、他の色彩より刺戟の強きだけ、それだけ壮に感じるのである。緋衣を着たる入道清盛など亦壮の好調和である。
雲の峯眞赤になりて入日かな 碧梧桐
崖千丈只蔦かつらばかりなり 飛天雄
▲赤は優美な色である。前に述べた如く赤は刺戟強き色であるから其量の小なる割に人の感覺に訴へる事が強ひ、而して此の場合美の對象を得れば即ち優美である。語に『萬録叢中紅一點』とは蓋し赤の優美なる點を形容するに最も適切なる言葉であらう。
白金魚尾が紅に染みかけし 未央
朝な々々覆盆子あからむ十粒ほど 芳雲
▲赤は氣高き色である。達磨や日蓮や其他何れの高僧でも緋衣を着て好く調和するのを知つて居るであらう、是れに反して俗曾や小僧などには頭から似合はないのは緋衣は輕卒でなくて貫目があり高尚であるからである。故に神社佛閣など、朱に塗つてあるのである。又女官の緋袴、高貴の禮装の緋なるなど、亦尊嚴の好調和である。
菜の花や赤く塗りたる村社 竹子
紅梅に立ちよれば神の在します 牛伴
▲赤は暖い色である。諸君が始めて水彩畫に志した時、大下先生の『水彩畫の栞』で赤の暖い色であろ事は克く存じて居られるであらう。赤色と言へば直ちに火を聯想する、火は暖い、火の色彩は赤である、赤き色とは火の色の謂であつて、その火の色が暖かく感じるに何も不思議は無い、赤色を緋と云ひ、太陽を日と云ふ、亦火の性を帯びて居る。
大津繪に丹の過ぎたる暑さ哉 蓼太
鄙の家に赤き花咲く暑さかな 子規
▲赤は艶な色である。赤自身の性質より謂ふも亦妙齢の女性と云ふ聯想からしても、赤こそは凡ての色彩中最も艶な色である。艶な色は赤であると言つてもいゝ。願はくは次の數句を再讀三誦して見給へ、月朧ろなる春の夜を、婀娜な佳人と相對して美酒を汲むの思ひがあるであらふ。
花に高尾八文字ふむ伽羅の下駄 虚子
紅扇十三にして舞をなす 子規
春風や赤き花咲く虞氏の墓 秋竹
遊女屋の櫻に赤き灯かな 蕪涯
、春殿の蝋燭赤し揚氏の女 露月
嫁入の赤い蒲團や馬の上 虚堂
島原や紅洗ふ春の水 寒月
紅梅に酒吹く室の遊女かな 露石
我戀は林檎の如く美しき 富女
鬼灯や汝が母は遊女なり 鶯子
▲赤に俗な色である。下作な色である。いかに名匠の作つた樂器と雖素人の手には何等好き音も發せず。美味なる可きグースの丸燒ても、焦けては反つて苦味を感ずるが如く、如何に華麗なる赤色でも、過てはつひに不快の感を招くに至るのである。是れ獨り赤色に限らぬけれど、刺戟強き色だけに又他の色彩よりも此感を深ふするのである。
穢多寺や只赤々と鶏頭花 愛松
曼珠沙華あつけらかんと道の端 漱石