松樹

夢鴎生
『みづゑ』第四十九
明治42年4月3日

 松樹には眞直と圓味ある完全との二つの特點があつて美を發揮する。
 松の生えた岩が霜に碎けて落ちて松の幹を傾斜せしむ、又幹を圍める土塊が雨の爲めに崩づれる、大圓石が落ちて幹にかかるそして一方へ抑へ付けながら成長させることがある、故に懸崖瀑布の傍氷河の岸等では松が曲がつて歪んでゐる。
  されどこれは决して松の眞の性格を示すものでない、ターナーは『松の精神を描き表はすは不可能なり』と言ふた、松以外の樹木は土地の形勢に左右されて、或は從者の如く或は慰安者の如くに生えて居るが、獨り松樹は寂然と自主の勢を示して居る。余は人里を離れたるアルピンの斷崖の下に立ち、松の茂りを見上ぐる度に恐怖の念を起さぬ事はない、何故といふに、松樹が幾株となくあつても、靜かに、眞直に、或は一所に凝り集まつて、恰も地獄の城に居るといふ幽靈の一隊のやうに見える、そして其一本一本は他の株の影である如く見える、しかも樹の各自は傍にある他の株に就ては何も知らんで居るのである、そして人の近けぬ處に生じてゐるから呼びかけ樣とてもそれも駄目で、是等の樹は人間の聲をば耳に入れない、唯僅に風の音を聴く許りである、そして全く慰みなしに悠遠なる天地との間に聳えて居る。
 松樹は圓錐體をなして、其斜面は少しく彎曲つて、エリサベス時代の庭樹の如くである。外見粗く見ゆれども、林と集まりては柔かな形となる、これは他の樹木は、幹や、交錯せる枝條を見せるが、松樹は繁茂せる集團か、又は孤立して、成長するから、一の枝も見えないからである。峯に生じてはピラミツト型の梢が一列に連なる、又下は草に達する迄枝を垂れて葉がこれに着生する、されば緑の圓錐體緑の毛氈の如くである。
 それに松樹の蔭影は角錐形である。
 松につきて尚美しき點は、他の樹木は空中に點の集の如く際たつてあるが、松のは櫻の如くなつて居ることである、松樹の繁れる崖の背面から太陽が昇るときに、二哩位離れたのでは、太陽から兩方へ三、四度の角度内の松樹は見ることが出來る、そして其が暗き空に對して焔の如く、太陽其ものの如く眩しき光の樹と見える、余は、初めこの現象を、松の葉が光澤がある故ならんと思ひしが、これは松葉の上にある水蒸氣の水玉の作用である。細い松の幹が箭の如く聳え、黒味ある葉が所々空の光りを透かしたるは亞刺比亞式の唐草模樣の如くである。
 松樹は人間に大なる感化を與へる、英國の楡及樫、佛國のポプラー、蘇格蘭の樺、伊太利、西班牙の橄欖樹等は、其の外の樹や畠の農作物の力を待ちて其美を發揮するのであるが、松ばかりは左樣でない。(ラスキン氏『近世畫家』抄譯)

この記事をPDFで見る