寄書 上手

長澤北斗
『みづゑ』第四十九
明治42年4月3日

 專門の畫家書家といはるゝ程の人は別として、素人で上手といはるゝ人は、自ら進んで發動的に上手になつたといふよりは、寧ろ、周圍の人に持ち上げられて受動的に上手になることが多い樣に思ふ。
 ふとかいて見た畫が一寸うまく出來る。最初はさほどの自信もないが、見る人にうまいとほめられる。「はて我輩はこれでも上手なのかな」、一寸首をまげる。奮發してやつて見ると、少しは上手になる、興味も出て來る。隨つてほめる人もだんだんふえて來る。「我輩はどうしても畫に於て秀でて居ると見える」、自信いやうぬぼれが出て來る。圖にのつて少しよい筆やよい紙をおごつて、やつて見ると、たまには自分ながら感心する樣なのも出來る。こんどは知らぬ人までも、「あの人は畫の上手な人だ」などと評判をする。それが自分の耳へもちらりと入る、いやな氣持はしない。益々自分の力をみとめて、大奮發をする。益々持ち上げられる。遂には自ら畫家を以つて任じ、また、人もゆるす樣になる。かくて實際の上手となりすましてしまうものである。名誉心といふものは實に恐ろしい力を以つてゐるものである。

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