寄書 研究所日記

榎の人
『みづゑ』第四十九
明治42年4月3日

研究所日記 榎の人
  b:二月八日月曜日快晴
 雨村君蠻聲をはり上げて「ソレ達人は大觀す」と得意の琵琶歌をうなり出す、爲に屋内震動せんばかりなり。
  二月九日火曜日 曇
  望月川上の兩君スケツチ箱をヒツかつぎ三脚をヵタ手に又カタ手に四つ切の畫板をもち室内用の大なる畫架を肩にかけ、辮當を腰にブラさげ寫生に出發せしは振つていたり
 。 二月十日水曜日 晴
 望月君、例によつて室内用の畫架を持ち寫生に行かんとす、時に傍にありたる鈴木君曰く「ヨシ給へ君!ソンナ大きな畫架を持て行かなくつてもいゝじやないか、若し忘れてきたなら赤城サンにでもかりてやら、然しブりたきや持て行き給へ」と、さすがは鈴木君なり。ナンゾその言の皮肉なる。
  二月十一日木曜日 曇
 紀元節なれば研究所休みなり。何れの石膏も皆ニコヤカならん蓋紀元節並に憲法發布二十年紀念を祝して。
  二月十二日金曜曇後晴
 河合先生アマリ早く見えたれば皆大に狼狽す、洋行歸りの岡精一氏參觀に來らる。
  二月十三日土曜晴
 清水君曰く「昨日は地震が、いつたね」と、叉語をついで曰く「地震がユクト電氣の玉の中にある針金が一番よく動く」と、時に稀代のシャレ男たる鈴木錠吉君曰く「僕の家の電氣は地震がいつても動かない」と皆あやしんで其の故を問ふ君答へて曰く僕の家の電氣はオヤジだもの」と、思はず皆をして腹をかゝへしめたり。
  十四日日曜
 今日は別科の日なり。本科と異てあたかも火の消えたるが如く靜かなり。時々何處よりか筑前琵琶を習ふ聲聞ゆ。

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