色彩應用論補遺 色彩の對照
榕村主人アコウムラシュジン 作者一覧へ
榕村主人
『みづゑ』第五十
明治42年5月3日
自然界に現はれて居る色彩の對照は、これを畫面に寫して頗る優麗な結果を來すものである。これを紙面に描くには啻に忠實なる模寫ばかりでなく、色彩と色彩との相互の關係を統て居る自然の法則をも究めて、これに適切な代表的の彩料を應用しなければならない。忠實な寫生家が自然の景趣を精確に描出する事の出來るのは無論であるが、之を完成するには、其彩筆を振ふて、最初のワツシから終りのグレーズに至るまで現實の風景に對して精密な模寫に勉めなければならない。もし夫れ止むなく製作を中止して、再び寫生を續くるに際しては、究氣や光線の模樣は前日の時刻と同樣てなければならない。其故は光線の變化が軈て色彩の變化を來すもので、隨て色彩の微妙なる差異を錯綜せしめるから、畫面の成功甚だ覺來ないものとなろのである。
黄色の砂の堤防が烈強な光線に照されると、其影が紫色を呈するといふ事は既に前章に於て述べたが、かゝる類例は自然界に澤にあるので畫家たるものはこれを研究してスケツチ以外に記臆に止めて置いて必要に應じて畫面に應用しなければならない。風景畫の多くは實景に對して筆を執るのは稀であつて、その大部分は活氣のある回想に依つて描くのが通例であるから前陳の事が必要となる。こゝに回想といふのに想像と混交してはならない。
熟錬な畫家に自然の観察に慣れて居るから、自然界の色彩の對照等も殆と直覺的に彩料を用ゐてあやまつことがないか、素人に至りては時間も勢力も繪畫一方に集注することが出來ないから、自然界の色彩の對照に關する規則を研究するのが捷經であるのである。
詮ずるに色彩の對照の起るのは、原色と補充色との關係である。これを明にするには左の圖表によるが便利であらう。
この圖に依ると三原色が、混合に成つた第二色で境界をして居る。レツドの補充色はグリーンでブリユーのはオレンヂ、エローのはヴアイオレツトもしくはパープルである。更に詳密に原色と補充色の關係と明にするには左の二圖に依て見られよ。
一原色の補充色は他の二原色の混交したものである。例之はブリユーとエローとの混交したグりーンはレツドの補充色である。レツドとブリユーの混交したヴアイオレツトもしくはパープルはエローの補充色である。レツドとエローを混交したオレンヂはブリユーの補充色である、これに依て色彩の對照は原色と補充色との關係であることが明瞭となつた。
さて人躰の肉色の如き至細に檢し來れば、かの顔面の優麗なる色彩の調子の如き、實にその色彩の對照の結果であることが分る、暖い薔微色の皮膚の陰影の一角は冷い鼠色を呈するものである、顔の色が赤味を帯びて居るときは陰影は補充色の結果から緑色の傾向がある、人或はこれを不自然といふかも知れぬがこれは事實である。もし顔色が黄味を帯びて居れば陰影の一角はブリユーの傾きがある。
更にこれを風景に於て見るに、例之は緑色の森の前景から鼠色の遠山を望見すれば、紅色を帯びて見えるもしそれ前景が豊富な黄色の牧場もしくは輝いた砂地であるならば、遠山はヴアイオレツト色を呈するまた前景がブリユーの海水もしくは湖水であるならば、オレンヂ色の調子となる。
また光線の爲めに色彩の調子が變る。かの日没の暖く紅い光線の下では、緑色が紅色となる。鳶色に黄色に轉ずる。また藍色が、黄色の光線に會ふときは緑色となる、故にかゝる光線の影響は畫面に描くには、大いに注意を拂はなければならない、もしこれを等閑に附すならば、自然界の眞理に反した、邀烈な對照を起すに到る憂がある。《色彩應用論滿了》