白馬会展覽會の水彩畫
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第五十 P.10-13
明治42年5月3日
白馬會第十二回展覧會に、四月十六日より溜池三會堂に開かれた。私の往つたのはその日で、繪は陳列が濟んで番號はあつたが、畫題や作者の名はついてゐない。水彩畫の室に階下で、二つの壁を占領してゐるが、油繪と同居である。うち見たる處僅かに二十點はかり、それも三宅氏の一二枚を除いては片々たる小作のみで大に失望した。(1)のM. Hosoiといふ人の作は、筆つきば面白いが、物質が見えずカサカサした繪であつた。三宅克巳氏の『小山の渓流』(6)にワツトマン全紙で、嘗て氏の畫室で拜見した者であるが、其時感じた心持よりも此處で見た方がよほどよく見えた、暖かき光が總ての緑に含んでゐて、何となく好もしい感じがする。併し、これ丈けの場處を、しかも水彩畫で、こんなに大きく描かなくともよい、四ッ切位ひで澤山で、畫面が小さければ岩や水の描きコナシ方もラクで、もつと成功した繪が出來たらうと私には思はれる。『湯ケ島の冬』(8)に、天城山に強い西日のアタッてゐろ縦畫で、隨分思ひ切つた烈しい調子で描いてある、ドーモ見てゐると自然に對する心持になれない、其色や其濃淡の對象は少しく誇張されてゐるやうだ、そして日向の色も單調ではあるまいか、前景もあまり曖昧に過ぎはせまいか、尤もこの樣な場處こそ大作に適する處であるから、私は三宅氏が『小山』よりも此方に力を入られたらばと殘念に思ふ。『神奈川の裏河岸』(9)は驚くべき精緻のもので、屋根のトタンのナマコの筋や、障子の棧や、羽目板や、一黙一劃極めて愼重に寫されてゐる、このやうな描寫も偶には藥になる、また、眞正直に一生懸命に有の儘を寫したものは、タトヱ詩趣の掬すべき點はなくとも、作者の努力の感化とでもいはうか一種尊敬の念が起り、見てゐて决して不愉快なものではない。氏の作には他に三枚あるが何れも小品である。三宅氏は、近來子弟の教育も廢し、雜誌の口繪繪葉書類の揮毫も謝し、絶えず旅行し、專ら製作にのみ從つて居られるのであるから、氏の畫室には新作が澤山ある事と思ふ、會期猶長し、請ふらくは深く藏することなく、此會によつて一般の希望者に滿足を與へて貰ひたい。『榮螺』(11)及ひ『鶴卵』(17)は共にS. Shibata氏の筆で、何れも四ッ切の横繪である。静物寫生は、風景や人物畫に比すると割合に容易であるが、此繪は中々忠實に觀察が届いてゐて、そして材料の組立もよく、色彩の配合もよく、眞面目に寫したといふ丈けのうちにも、何となく全體の調和がよい爲め、靜物畫として成功してゐる。私は、水彩畫家の乏しき白馬會に、新に此人の加はつた事を喜ふ。巾澤弘光氏の伊豆の温泉揚に於けるスケツチ(13)(14)(15)(16)が八枚ある、思ひ切つて生々しい色が使つてあるが、筆は達者なもの。(20)より(23)迄(或は(19)もそれか)は張孤雁氏の挿繪の下圖で、何れも面白く拜見した。(23)は輕い調子でよい。(22)の女の手は少し太いやうに思はれた、あれが割合の上から實際かは知らないが、稽古繪でない以上は、多少其姿勢や釣合を美にする必要はあるまいか、尤も(22)が小説の挿繪として、其女主人があのやうな手を持つてゐる人ならそれ迄である、此繪の周圍の人物が、主人公を注視してゐる感じはよく出てゐた。無名氏の(12)景色畫は、誰か知らぬが垢抜のした繪で敬服、其他、J. Hirose(2)、S. Makino(4)、Yamagata(24)、等諸氏の評は御預り。
これは水繪ではないが、山本森之助氏のスケツチ数點は、水繪的色調で自然の面白い感じが捉へてある、この調子の取り方は水彩畫家の參考とすべきものであらう。
評者曰ふ、三宅氏の繪の題目は評者の勝手に附せしものなり。