日本水彩畫會研究所春季寫生旅行會(雨の越ヶ谷)

白鴎生
『みづゑ』第五十
明治42年5月3日

 私は先づ此紀行文を書く前に題を决めた、雨の越ヶ谷と。
 幸か不幸が、二日の旅行は二日とも雨であつた、雨の爲めにスケツチの少なきを卿つ人もあつたであらう、併し少なくとも私には雨の方が可いと思づた、負惜みじやない、靜かな春雨、越ヶ谷のローカルカラーは遺憾なく發輝された。
 四月三日の朝、六時の空に今迄降つて居た雨が止んで、やゝ明るく、前途有望を示して居る、私は道を急いで研究所へ往く途中、ばつたりとYA君に會つたので、一所に電車に乗つて兩國停車場に往つた、もう十人許り來て居る、河合先生も藤島氏も見える、河村一郎といふ可愛い坊ちやんも居る、其中に集まつた同勢は十六人。
 此時明るかつた空に暗くなつて少さなのがほろほろと來た、漸くに多くなつて往く、豫定の發車時刻は七時五分といふのであるが、一行が切符を手にして、さて乗らうと待構へたが、どふしたのか已に此時は汽車か出て仕舞つた後だといふ事が別つた、一行は口あんぐり、次の發車迄に一時半許りも間があるので、めいめいに川端へ出て雨の中で蝙蝠傘をさしてスケツチをした。
 いよいよ八時四十五分の列車で雨の都をあとにして、本所龜戸曳船鐘ヶ淵と徐々に進む、車中では例の通り思ひ思ひにスケツチブツクを取り出して乗合客を鉛筆の先に引懸けて居る、一時間程にして目的地なる越ケ谷へ着いた。
 停車揚から町を右へ折れて進むと橋の手前に大松屋といふ宿屋がある、これが今宵の宿泊所である、昔風の古びた、なんとなく奥ゆかしい平家建である。
 此所で些つと休んで、河合先生から、我々の採るべき方針を地圖を擴げて示された、それで川上へ心ざすもの川下へ往くもの、思ひ思ひに別れた、私はST、SM、IMの三君と橋の袂から左に折れて川沿ひに下流の方へと心ざした。
 しとしと降る春の雨、川向ふの方にこんもりと茂つた杉の森が霞んで見える、靜かな流のほとりには丈低き川端柳が若芽を吹き出して、只もううつとりとなるやうな柔かな緑、凡てが靜といふ字に當てられやう、實に靜な感じである。
 暫く往くと此川に注いで居る小流の畔に出た、橋を渡つて右へ折れる、越ヶ谷の町は對岸だ、幾町か往くと前刻見えた杉の木立の下へ來た、私達は稻村の蔭に三脚を据えた、川から漸やく離れて居る、前景は一面の草原である、川の所々に洲があつて若草が萌え、水には蔭が寫らないから白く光つて洲の爲めに面白い形をして居る。十二時近くに繪筆を擱いて、携へて來た行厨を開いた、SM、IMの兩君はST君と私とを殘して先へと進んだ、私達も後を逐ふて往つた、見ると對岸で連中の二三人が寫生をして居るやうだ、向ふ岸は面白さうだナ、歸りには向ふを通らうよなどゝST君と話し乍ら往く、洲の中に一本丈高い柳があつていゝ格恰をして居る、橋がある、なほ先へ進むだ、宿屋から、殆んど半里許りも來た、此處らあたりへ來た人はなからうと思ふと豈はからんや向ふ岸で誰か寫生をして居るやうだ、オーイと聲をかけると、これにCM君だ、シワシワとしなつて折れそうな板橋を渡つて、傍へ往つて、私達も三脚を据えた、中景に森と川と、前景に柳を入れて、輪廓を取つた時分、向ふからワイワイ騒ぎ乍ら三四人やつて來るのを、よく見るとSM、IM君とYA君が、一郎坊を連れて居る、其中に橋を渡つて來て皆三脚を据えた。
 雨に小止みなく降つて畫面は中々に乾かぬ、CM君丈けは早くも仕上げて歸つた、私達も漸くに仕上げて歸路についた、途中でもう一枚描くつもりであつたが、夕暮れに多くの時間もなし、着物もビショ濡れだし、早く宿屋へ歸つてお湯にでも這入つた方が可からうと云ふ事で、對岸の方の道を急いた、泥濘み路を駒下駄と來て居るから、折角の新らしい足袋を泥まみれにし乍ら宿屋へ歸つた、YA君は途中下駄の緒を切つて、足袋裸足になつた、IM君が恐ろしく氣張つたもんだナと冷評かすと、ナニ古いのだよ、道理で。
 宿屋へ歸ると、奥の方の室へ案内された、連中の中の八九人は巳に歸つて居た、河合藤島兩氏も歸つて居られるそこで我々の今日の成績を陳列して御批評を願つた。
 豫て宿屋では、カルタをやらうといふ約束があつた、そこで女中にカルタはないかと聞くとありませんといふ、これには失望したが、誰かゞ拵へればいゝぢやないかと云ふので、衆議一決して一錢づつの寄附金を募集すると十二三錢集つた、それで早速畫學紙を買、大勢で丁度カルタ位の大きさに切つた、早速に硯を借りて歌を書く、忽ちにして出來上つた、河合先生は大勢の力はエライもんだナと感心したやうに謂はれた。湯に這入つて夕飯を喰ふ、食後直にカルタを始め出した、取らない人は足角力なんどをやつて居る、その中に餅菓子を買つて來て釣し喰ひが始まつた、又片方では將棊なやつて居る、五目並べをやつて居る、釣し喰ひは中々盛んだ、づらりと列んで順に一人づゝ、或は轉げ或は喰ひつき、滑稽を極めて居る、それが下火になると又カルタと云つた具合て興はつきない、其中に追々と寐てしまう、私もST君と五目並べをして居た時はもう皆寝ちやつて、時計を見ると三時に垂として居る、此位遊べば未練はないといひ乍ら寝に就いた。
  昨夜、いや今朝の三時に眠つたのだが割合に早く起きた、七時頃だ。遊び足りなかつた人達が五目並べなんかをして居る、のん氣なものだ、雨が相不變降つて居るので、誰も朝飯前のスケツチに出たものもないやうだ、飯を喰つて出掛けたのは九時近くであつたらう、又皆思ひ思ひに別れた、大方は川上の方に往つたらしい、私は河合先生とST、YY兩君と一所に川下の方に往つた、ST君は土橋を寫生するんだと、橋の際へ三脚を据える、私は橋を渡つて少し先へ往つた所で杉並木を寫生した、其處を仕上げて、川上へ往く、往けども往けどもいゝ所がない、見付からない、連中も一人も居ない、一體何處らでスケツチをして居るのだらうと噂をしつゝ進む、横道へそれて見たが面白くない、YY君は僕はあちらの方へ往くと云つて別れて往つた、二人で又川上へ往く、やゝものになる所へ出たので三脚を据えた、總體に昨日の方がいゝ感じをして居たやうだ、丁度十二時頃であつたので宿屋から携へて來た辨當を開いたがその不味い事不味い事、敢て辨當の所爲といふのではないがスケツチは失敗に終つて又川下へと下つた。鐵橋の際で又一枚をやる、それを描いてから町の中へ這入つて往く、橋の袂で何處からかYY君が出て來て一所になつた、宿屋の前を通り過ぎて寺のある所を右へ往つた、輪廊の面白い杉の木立が見えるので、それを目當に進むと池の畔へ出た、杉の影が水へ寫つて面白い、處で私は落ついて此旅行の最後の一枚を描いた雨は止んで居るが時々ザッと來る、五時四十五分の列車に乗る筈なので筆を擱こと急き停車場へ往つた、別れた連中は皆集まつて居る、河合藤島兩氏とAT君は前車で歸つたさうだ、二三人は未だ來ない、連中は非常に歩いて遠く川上の方迄往つて、行程殆ど五里に及ぶと謂つて居る。やがて汽車が來たので乗込んだ、二日の寫生旅行もこれで終つた、雨は名殘なく霽れて、もう明日は大丈夫ですよと謂はぬ許りに雲がゆきゝをして居る、汽車はしづしづと出る。私はかう思つた、越ヶ谷に感じと色とに於て實に豊富だ、その靜かなながめは妙に人をチヤームする力を持つ居る、殊に雨中の光景は素敵なものだ、併し憾むらくは位置が面白くない、たゞ廣くて掴へ所に苦しむのである。 (了)

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