寄書 日誌

ケーワイ生
『みづゑ』第五十
明治42年5月3日

 金曜、快晴、
  今日は先生が來られる日だ、モデルの寫生も大分纒つて來た、先生は何とおつしやるだろー、又形が惡るいと云はれるにきまつているなどゝ、思つていると、果して十一時頃來られた。騒しかつた畫室が俄に水を打つたやうに靜かになる、先生の評が初まる、君のこれはいかぬ、まだ直らぬと、一人々々の癖をよくも覺えて居られる者だ、一寸よい所?があるとほめて下さる、うれしい、然し・・・・此然しからが惡くなるので・・・・こゝなどはうまくいつたがモデルの感しがとれていない、顔の向なども初めて眞中の線を引いてどのくらゐの傾きと云ふ事を計つておくのだ。又一人には、君の畫は堅くなつていけぬ、もう少しぞんざい・・・・ぞんざいでもいかぬが軟くやつたらよかろーなどと評せられる。又一人には、先週よりよくなつたが、モデルの感しが出ていない、これなら此モデルを使はなくつてもよい譯だ、此モデルを寫生したら、此モデルの感じを研究するのだ、さもないと、若し大作などの場合に、女紳などを描こうと思つても下女のような感ししか出なくなる道理だと、一も二もなく感じだ、研究生は解つたのか解らぬのか、皆少さくなつてハイハイと聞いている、中には八重洲橋邊を寫したのを持てきて見せろ、茲に少しアクセントを入れたらよかろーなど、評せられる、今度は僕の番だ、何だかうれしいような氣かする、これは無難な作だが、少しバツクとの調和が惡いと云はれた、これから石膏の方の番た。
 水曜 晴 但時々曇
 今日はモデルが病氣で休んだ、此鼠色の空に日光を受けた白帆など面白いだろうと、友のターちやんと永代橋へ出掛けた、前景には西洋形の破船があつて、中景は順風に隅田を溯つている帆船が二三艘遠景としては石川島の造船所だ。實にお誂へ向だ。どうじや寫そうぢやないかと云ふと、あまり船が復雜だと云ふ、何だ君はこんな所が面白いと云ひ出した、茲に端なく畫論が起つた、ターちやんの云ふのは、こうだ、こんな復雜な所を寫しても、出鱈目になつて研究にならぬ、それよりも、向ふの運送店に日の當つた處を忠實にやつたほうが研究になると云ふ。僕もまけていず、復雜な所を寫したからとて、出鱈目になる事はない。帆縄一本々々丁寧に寫したとて何になる、要は感じにある、既に此景に對して或美觀を覺えたなら、其感じを寫して見るも研究だ、君の樣な事を云つていたら、活動物などは寫すことは出來ぬ、君がいくら忠實に運送店を寫したとて、少しも誤りなく寫すことは出來ぬ、してみれば此景だつて、君が感しただけ寫したらよい、いらぬ所は描かんでもよい、と云ふと、ターちやんは又云ふ。それはいけぬ吾々の時季に、未だそんな自然物を取捨するだけの腦力がない、自然を十分忠實に誤りなく寫してこそ研究になるのだ、君のような寫生の仕方では、幾百枚描いたとてうまくならぬと、なかなか双方勝負の見込が付かぬ、フト氣がつくと人が澤山集つている、オヽ寒いね、何時だ、三時半。オヤもうだめだ歸ろうと、とうとう何もかゝずに歸つた。翌日ターちやんから手紙が來た、曰く、昨日は寒いのに御苦勞さん、あの畫論は、宅でよくよく考へてみたら、君のも道理だ、僕のも道理だ、要するに人々に依つて其趣味を異にするので、君が隅田川を描こうと、僕が運送店を描こうと勝手だ、あすは仲直りをして一しよに出掛けよう。」 終

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