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『みづゑ』第五十
明治42年5月3日

□本號中繪『沼津海岸』はワツトマン八ツ切のスケツチに候
□寫眞版『畫室のそと』は、南の崖より見たる處にて花は白き躑躅に候。『畫室のうち』は西の入口より寫せしもの、土曜日の稽古中に御座候
  □次號には石川欽一郎氏の美術談叢『風景畫の二別』を出すべく候
□次號の原色版は大橋正堯氏の『京城の一部』、石版には本號に間に合はざりし相田氏の『初夏』及び松岡氏の『京の郊外』を.挿入可申候
□『みづゑ』第一より八迄、十より十三迄及び十五、十七、十九、二十、二十九は品切に御座候
□『美術家小傳』は最早一册も手許に無之候、若し強いて御入用の方は、東京神田區東松下町小柴英氏方へ實費送料共二十二錢を送りて御たのみになれば分配して 呉れる事と存候
□和歌山五月會々員の寫眞は保田虎太郎氏よりの寄贈に候、同氏よりの通信によれば會員たる關谷氏(左の方中段立木に近き位置)は最優等者として徳川侯爵より褒賞を受けられ候由に御座候

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