春鳥畫談

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第五十一
明治42年6月3日

春鳥畫談
  汀鴎
  b:成功と不成功
 私のやうなものでも成功しませうか?謙遜か冗談で言ふのなら兎に角、眞に伯分の前途を疑つてこんな問を出すやうな自信力の足りない人は屹度成功しない。今はこんな詰らぬものを畫いてゐますが、一生懸命勉強して何處迄もやり遂げます!恁ういう心懸の人は屹度成功する。
  一人前
 何年やつたら一人前になれるでせう?この一人前といふやつに標準がない、其人の天分と勉強次第だ。早く一人前にならうと思ふよりも、出來るだけ長く書生時代で居やうと思ふはうがよい。一人前とかいふものになつてからの苦しみは、この時代の人達には分るまい。
  天才と能才
 天才と能才其差異は髪の毛一筋だとは古くからの諺だ。苟くも繪に趣味があつて、筆を執つて樂しむものに、全るきり天分のないものもなからう。天分のないといふ人も、安心して勉強してゐたら、神の助けで天分も出て來やう、天才と並び立つ仕事も出來るやうになるだらう。
  天才必ずしも成功せず
 世には天分がなくて成功しなかつた畫家の澤山あると同時に、天才と言はれた人で成功しなかつた畫家も隨分多くある。天才なら大天オがよい、生じいの天才は直ぐ鼻が高くなつて、研究 心がなくなつて、いつの間にか落伍者になつて仕舞ふ。
  調子のよいのは危ない
 畫の習ひ始めにあまり調子よく上手に出來る人は危ない、直きに先輩の繪がマヅく見える、教師の繪迄も欠點が見える、チヨット馬鹿にする氣になる、そのうちに天狗になる、迷ふ、可なり高い處から急に奈落の底へ振落される、落ちない迄もある時機が來ると一向進まなくなる。
  骨の折れる方が安心
 そこへゆくと、初めに少し骨の折れるやうな生徒の方が末の見込が確でよい、一度覺え込んだるは中々忘れない、コツコツ氣永にやつてゐるうちに一通り呑込んで仕舞ふ、こんなのが一朝大悟すると、今迄の素養がお役に立つて素晴しいものを拵へる。
  天道に不公平はない
 天才のある人は稽古がラクに出來るそれの少ない人は稽古に骨 が折れる。併し、丁度健康體と不健康體とのやうなもので、前 者は別に身體に注意しなくとも病氣はしないが、時として己れ の健康を頼んで大失策を起すことがあり、後者は絶えず注意を 要する代りに、そのやうな間違はない。生來の健康體を持つも のが必ずしも長命でなく、隨分虚弱な人が八十九十迄も生きる、 天道は決して不公平ではない。
  トライオン
 アメリカにトライオンといふ風景蛍畫家がある、いつも海岸や草原の、深い霧のかゝつたやうな繪をかく。僕はデトロイトで、この人の舊作を見たが、それはそれは、強い脂色の繪具を使つた眞闇な、筆の綿密な繪で、記名がなかつたらドーしても同一の人の作とは思はれない代物だつた。修養蒔代は何を描いてもよい、時機が來て一たび起つれら思ふやうな仕事をするがよい。
  ターナーの 青年時代
 ターナーなども青年時代の作には、樹の葉一枚々々畫いたものもある。遙か向ふの丘の上に、人物や犬の居る處を細かく寫したのもある。さまざまの事をやつて見て、結局、あの輕快な色や豪放な筆を捻り出した。
  山本森の助氏
 日本現代の風景畫家ではまづ山本森之助氏が第一流だらう。この人が學校を出てから間もなく、展覽會へ出した繪のうちで、『茶畑』と『落葉』の二點は誰も覺えて居るだらう。『茶畑』は葉も少ない頃、其根元から細かい曲りクネつた枝が、西日のために地面に鮮やかに影を投じてゐる處、『落葉』は、林か庭の一隅の木の根に、ガサガサと種々の枯葉が溜つてゐる處の寫生で、何れも大きな繪で、畫いたものは殆ど實物大、こんな物をと誰も相手にしない材題を、寫眞のやうに綿密に忠實に寫生してあつた。この大切な修養、ヂミなやり方は、やがて『海上の雲』を産み、『初夏』が出來、『森の奥』となり、『曲浦』となつた。
 

表札の文字は中村不折氏の筆なり

  幼稚な眼で眞の 自然に見えない
 物質の研究、忠實の描寫、それは何も、眼で見えた通り一點一劃も正直に描けといふた處で、幼稚の眼で見れのでは眞の自然に映らない、だゝ物が其物らしく現はれゝばよいが、大概の人はそれ迄やらずに、よい加減な處でゴマカして仕舞ふ。
  物には際限がある
 このスタデーといふ奴も際限のあるもので、僕のやうに何時迄も其覊絆から脱することの出來ぬやうでも困る。一方に心の儘の仕事をして、一方には修養を怠らぬやうにしてゆくのが一番よい。
  熱心な研究家には天祐がある
 物の研究は飽くまでやる事だ、正直で熱心の研究者には必ず天裕がある、遅速はあるが何時かは其目的が達せられる。
  天は濫りに人に教へぬ
 現代有名な彫刻家岡崎雪聲氏は、楠公銅像を錆造する時、西洋で大きな銅像をマルブキにするといふので種々苦心したが分らない、終に私費を擲つてシカゴ迄出掛け、開會中の萬國博覽會へ日參して、幾多の大彫像を研究したが其繼合せが分らぬ。焦心の結果、ある朝まだ開場前に出掛けて、門前の大銅像について頻りに考へてゐると、旭日が斜にさして來て、像の下迄も射込んだので、平素は暗くて分らなかつた底部が、反射の光りでよく見えた、そしてこゝに繼目を發見したので、難なく楠公像も出來たとの話である。分つて仕舞へば何の事はないが、それを見出す迄の熱心がなければ、天はその何でもない事迄も濫りに教へぬものだ。
  水火の責は必要なり
 古い新聞にあつた事だが、ヴアイオリンの用材はアルプス産の松がよいといふことだ、併し同じアルプス産でも百年程前のものは音色がよいが、其後のものは非常に惡い、其原因は何かと疑ひ出した人は、桑港の某といふ樂器商で、種々研究したが分らない、終に伊太利迄出掛けて松の原産地たるアルプスに登り、其用材の搬出方や何かを調べて漸く其原因を發見した。それは、百年以前には、山上から松を伐り倒して、急轉直下遙か麓の谷川に墮す、すると松は非常の勢で下るのだから、熱を持つて火の出るやうになる處を、俄に氷のやうな雪解の水に投込まれて、こゝで急に冷される、それが爲め木の性質が殆と一變して仕舞ふ。この用材で作つたヴアイオリンは、其音色が至極よかつた、然るに奈翁伊太利進入の時、アルプスの嶮は坦々たる大道と變り、車馬が通ずるやうになつたゝめ、それ以來、木は伐られて、車によつて運ばれ、また前年の如く水火の責に逢ふことがなくなつた、その木で造つたヴアイオリンは音色が惡い。この發見によつて、某は直ちに、百年前の方法を繰返させ、伐木した木に熱と冷とを與へて試みて見たら、以前に變らぬ立派なものが出來たとの事だ。
  苦しまなければ傑作は出來ない
 この話は、研究に熱心な人には必ず發見があるといふ例を示すのみでなく、人が世に處してゆくにも、この水火の苦を通つて來なければ立派な人間になれないといふことを證してゐる。また、畫人も、この苦しみを味はつて來なければ傑作が出來ぬといふことも證據立られる。
  汗と水鼻汁で洗禮を受けよ
 夏は顔からポタポタ墮つる汗て、冬は鼻からポタポタ墮つる水鼻汁で、畫面を洗濯する位ひの苦しみを通つて、そして迷ひに迷ひ、煩悶に煩悶を重ねて、豁然として悟る處があつて、始めて自己獨創の立派な絵も出來やう。他人の描法や何かを、眞似てばかり居て、自分がラクをしてゐては、何時になつても獨立した畫家にはなれぬ。
  愚にもつかぬ事 を聞きたがるな
 此色は何と何とで出來たかの、此絵は何時間かゝつたかのと、世の中には愚にもつかぬ事を聞きたがる連中が隨分澤山ある。絵の良否は時間の問題ではない、三十分で傑作も出來やう、十日も二十日もコネつかへして駄作に終るのもあらう。一の色をつけるに、何と何とゝ規則の樣に極めて置く者はなからう、また一々記憶して置く必要もない、汚ない水で、汚ない筆で、アチコチの絵具皿を突つき廻して色を調合するのだ、よし、この色とこの色とゝ教へた處が、同じ色が出るものではない、出た處でそれを眞似て何にする、こんなクダらぬ質問なんかする間に、鉛筆のスケツチの一枚もやる人が屹度成功する。
  教師を頼つてはいけぬ
 ヨクヨク困つて、自分で始末にゆけぬ時のほかは教師に聞くな、何でも一生懸命繰返し繰返し研究すれば大テイの事は分つて來るに極まつてゐる、一にも二にも先生先生と教師ばかりを頼つてゐるとイツ迄たつても獨り歩きは出來ない。
 

カツサン氏鉛筆畫臨本の内

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