コップレーホールの展覽會

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

T、O生
『みづゑ』第五十一
明治42年6月3日

 Boston Copley Societyの第二回展覽會の出品は、繪畫二百餘點彫刻十餘點、其數に於ては驚くに足らぬが實質は何れも立派なものばかり、まだまだ上野あたりでは見られない。重なる作家は、Frank W. Benson. J.J. Enneking. John S. Sargent. Dwight. W. Tryon. E.H. Barnird. Eastman.Johnson. W. Wlitman. James Mcneil. Whistter.等で、油繪には肖像畫が多く、水繪パステルには風景畫が多い、其中で目についた繪を擧げ樣なら、Benson氏の作二面、氏は當地の小兒繪の名家で、その描法は顔料をカンヴアスに叩きつけたやうで、近くで見ては何だか判らぬ、極めて大膽なやり方、ホワイトの使ひこなしがお得意で、白衣の影の色の旨さ驚嘆に値へする、一寸見は粗雜なやうだが、其粗雜のうちに含まれてある意味は無量で、何時迄見て居ても飽きない。Sargent氏の肯像畫は三點、そのうち畫家M. Chase氏の肯肖像は等身大で、パレツトを持つた老畫伯が、その暗い鳶色のバツクの中から今にも歩み出して來さうな活々しれ好もしい繪で、この前に立つては、肖像畫は詰らぬものだなんて言へなくなる、顔一つ畫くに五千弗を拂はせるといふ氏の筆だから、場中を壓してゐるのは無理はない。Tryon氏は風景畫家で今賣出しの花形、近年の作は何れも霧に包まれたやうな要領を得ぬ場處のみであるが、其繪は決して輕薄でも不親切でもない、こゝにある繪は"Spring Time"と題されて、やうやく芽ぐんだ、枯木林が、高き地中線に一列に並び、前は露に濡れたやうな若緑の草原で、極無造作な頗る詩趣に富んだものである、眞偽は別らぬが、氏の作畫の順序として傳ふる處によると、最初多くの畫稿をつくり、さて畫くべき圖柄が極まると、これに應じた場處及材料のスケツチを澤山集め、いよいよ着手となると、カンヴアスの面をヴアミリオンのやうな熱色で一面に塗り、其上へ漸次筆を下してゆき、総な明るき處に置いて、自分は遥か離れて暗き中より椅子に倚つて眺めてゐる、時として四五日もたゞ見てばかり居て筆を執らぬこともある、勿論其間他の仕事をするのではない、實際筆が持つ時間よりも考へる時間の方が多く、それ故一年に幾枚も出來ないとの事である、繪として出來上つたものを見れば何でもないが、名工の苦心は容易ならぬものである。Barnar氏は"Blue Haze"といふ繪を出した、題名の示すがごとく、コバルトかゝつた景色畫で、この先生は何時も寫さうと思ふた景色を、四角な枠から見て其儘切抜いたやうに描くので、寫實派の極端をやつてゐる、それ故其景色の中に人物が欲しい場合でも、實際居なかつたら描かない、不用な塲合でも居たらドンナ處にでも有の儘描き込む、少しも自己の意志といふものを加へない、併しそれに掲はらず、其繪に對すれば决して寫眞を兒るやうに無意味のものではなく、やはりよい感じがする。Whistler氏の作は裸體の人物畫、油繪、水彩、パステル一枚宛で、何れも一尺に滿たぬ小さなもの、これによつて氏の技倆を窺ふことは出來ぬが、さすがに大家の面影は偲ばれる、この三點はデトロイトのフレヤ氏の愛藏品で、一枚一萬弗でも手放さぬとの事である。同じパステルの裸體畫にKronberg氏の小品があるが Whistler氏に比べて遜色のないよい出來と思つた。水彩畫の中では、Bnrleign氏の"Poort" Veereがよかつた、この先生はボストンで當時評判のよい人である。Moser氏の『湖上の月』は氣の利いた描法で、Crocker氏の"Willows"は色紙半分丈け描いてある、吾國の若い人達に見せたら直ぐ眞似をすろであらう。彫刻では、此地のKiston夫妻の作が一寸目を惹いたが、記憶にのこる程よいものではない。この會は四週間開場さるゝそうだが、いつも看覽者は澤山詰かけてゐて、夜分も電燈の光で見せてゐる、来國では一般に夜る繪を見ても差支ないものとして居る。(外遊日誌のうちより)
 

母島乳房山丸山晩霞筆

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