矢崎千代二氏の談話
『みづゑ』第五十一
明治42年6月3日
此頃歸朝された矢崎千代二氏の談話に曰く、『繪には研究のためと展覽會向きと感興に成るのと三種ある、第三のが眞の繪畫だ、旅行して作つた繪は感興のために稀に傑作が出來るから、研究時代の間にも樂しみがある――繪には悟りが肝要だ、氣が働かなければならぬ、心持や境遇の變化を要する故、畫家と旅行は離れぬものだ――外遊中で獨乙の畫家の勉強には感心した、サキソニー邊では、畫家の如きば汽車の四等に乗つて寫生に出掛ける、深林なぞに入り、二三日位ひは野宿して製作を續ける、其代り餘り熱心のため、畫風も偏し過ぎ、其上氣が狂ふたり自殺するものが割合に多い――次に二流以下で自活してゐる畫家に、大抵獨身者で、一生研究三昧に了る、何分畫家が多過るために、是等の人を滿足に養ふことは出來ないのだらう――一流の人の作なら何萬圓でも出すが、二流以下のならば只でも貰はぬといふやうな調子で、實力があつても世に知られぬ人は不遇に了らねばならぬ、日本なぞその憂はない――巴里の畫家は皆呑氣だが、英國では若い連中でも却々眞面目で、會合の約束など一分も間違はない――俗惡なアメリカでも畫家の連中は別天地で氣持がよい』云々(中央新聞)