日本水彩畫會研究所長野支部の設立報告


『みづゑ』第五十一
明治42年6月3日

 昨年十一月長野市に於て、一府十縣聯合共進會開催せられし際、東京協賛會支部の事業として、其開會期間仝會場内に和洋兩畫の展覽會を開かれ、大に信越地方の趣味普及上に貢献するところありたり。當時丸山晩霞氏は、專ら展覽會の事務に預られたる爲め、長野市に滞在せられ、時々有志と會談の折、當地方に於ける斯道研究者の爲め、適當なる會合の必要あることに及びたり、偶大下藤次郎氏の來長ありしかば、一夕當地二三の有志兩氏と會談の上、四十二年を期して日本水彩畫會研究所支部を設立し、大に斯道の爲めに力を盡さんことを誓ひたり、由來信州の天地は、山高く水清くして風光の美なる、日本の公園として天下に誇るに足るものあり、而して美しき自然と繪畫とが、離るべからざるの關係ありとすれば、此美しき自然の中に、美の空氣を旦夕呼吸して止まざる、信州人と繪畫とは、亦何等かの關係なくして可ならんや、曩に明治四十年一月を以て、始めて長野市に水彩畫講習會を開き、先天的に抱持せる、欝勃たる信州人の繪畫趣味を引出せるは實に丸山大下兩畫伯の力なり、續いて仝年八月神林温泉場に於て、第二回の水彩畫講習會を開き、廣く天下に同好者を募り、豫期以上の會員を得て優秀なる成績を擧げたるは、是亦丸山河合兩畫伯の力による、日本水彩畫會研究所と信州、其間又離るべからざる關係のあるあり此處に仝支部の成立したるもの决して偶然にあらざるなり。
 本年二月以來、規則書の協定會員の募集等大に有志の間に盡力するところありしが、四月に至りて約五十名の會員を得たれば、五月十六日を以て其發會の式を擧げたり、本部よりは丸山畫伯の來長あり、會場は信州第一樓の稱ある城山舘樓上と定め、本部より送り來れる水彩畫の傑作六十餘鮎を陳列せり、午前八時頃より續々會員の來會あり、午前十時より一同着席、委員より簡單に本會成立の來歴を報告し、次に丸山氏の日本水彩畫會研究所設立の來歴、及現今の事業の慨略、繪畫研究者に對する注意、支部の事業進行に關する注意等、一時間餘にわたり懇切なる講演あり、終りて陳列繪畫につきての説明、會員の作畫に對する批評等あり、正午を以て閉會を告げたり。思ふに當地方に於ける水彩畫の研究者は、從來單に一時的の展覽會或は講習會等によりて、僅に其研究を進めつゝありしも、今回の如く繼續的の研究團體をつくり、優秀なる作品を見大家の批評を乞ふの機會を得ざりしかば、一杯の茶と一盆の粗菓とによりて、極めて質素なる發會式に過ぎざりしも、其内容に至りては、趣味津々として盡くるところを知らず、閉會の時間來りしため、なつかしき陳列品を見かへりながら心を殘して退散したる有樣なりき。吾人は誓て拮据勉勵、花あり實あるの團體となし、以て本部の好意に報ゆるところあらんとす。(發起人某記)

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