寄書 研究所スケツチ

榎の人
『みづゑ』第五十一
明治42年6月3日

 水彩畫研究所の石膏部だ。天井から光線をとつた、そしてばかに天井の高い二階の畫室である。入て右側に田上氏の日枝神社、並に河合先生のデツサンが掲げられてある。まだ早いので五六人の人々がカルトンを並べて全身のビーナスを寫しているのみだ。ビーナスは室の中央に置かれて、光線の工合で其影が緑り色に見える。「はー」といゝながら入て來たのはTN君だ『T君はいつでも「お早よう」のかはりに「はー」といふ』とK君がつぶやく、又とんとんと梯子を登る音がして「お早よう」と、とんきような聲をしてやつて來たのはN君だ。N君に火鉢の傍へどつかりとあぐらをかいて懐中から新聞を出して讀み始める、來てすぐ新聞を讀むのはN君の癖なのだ。「おはよ」とよの字をばかに短く妙なアクセントで云ひながらやつて來たのはS君だ。S君は「パンが出來てる」といひながらパンのミミをとつてむしやむしや食ひ始る。いかにもうまそうだ。S君のパンを見て皆下ヘパンを取りにゆく。向の隅で角力の話が始る「どうだ駒は弱くなつたなう」一人がこういふ「上に登ると弱くなるよ」Z君が知り顔に云ふ「そうかな」隣りのO君感心して聞いて居る。此方では寫生の話が始る「君今何處かやつて居るか」「いや此頃は出かけないや」「靜物でもやつて居るのか」「今みかんをやつている」僕は今月から盛にやるぜ」一寸言葉を切て、「僕は月次會がすんでから六枚やつた」K君さもえらからうといはぬばかりの顔をしている。「F君はスケツチ箱を持て來たが何處かへ行くのか」「僕歸りにしぐ巣鴨の方へ行くつもりなのだ」F君北海道なまりで、うれしそうな顔つきをしている。
 下の人體部の戸があくとばかに靜かになつた。「おやばかに靜かになつたなー」「先生じやないかしら」皆の目は一つ所へ集た。「僕が斥候をして來てやる」とT君が下へゆく。間もなく上てきて「そうだ河合先生だ」といふ「ナニ河合先生!」と一人が問ひかへす。再び人體部の戸があく、同時に皆の顔がまじめくさくなるから面自い。下の時計が十時を打つのがよく聞える。先生は一々丁寧になほしに廻はられる。「此處らの濃淡はちとえら過きましたなー」「ええ頃にやつてはいけません」先生がこう云はれると彼方にも此方にも、くすくす笑ふ聲がする。先生が下へ行かれると皆々安心といつた顔つき。「君のはどうだつた」「僕のはこうだつた」などと先生になほされぬ事の話が始る。「ソレ達人は大觀すじやろ」下でSK君が琵琶歌をうなり出す。先生は歸へられたらしい。「おいじやろが始た」隅の方でS君がいふ。SK君はじやろをいはなければ琵琶歌が出てこないのである。二階でSE君の詩吟が始まる。なかなか賑かだ。「おいもう十一時半だよ「T君がいふ。「十一時半!もう」SE君は驚たといつた樣な顔をしてカルトンとにらみつくらをして居る。暫くは靜だ。下の人體部でおはりといふ聲がする。同時にカルトンをしまう音が騒動しい。つゞいて二階でもばたばたとしまい出す。便所が繁昌するのだらう、其の戸をあけたてする音がはげしい。さようならがらがらピツシヤリ研究所の十二時は一番騒動しい時である。

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