寄書 我廃筆!!!
鹽島愛山
『みづゑ』第五十一
明治42年6月3日
吁、汝廢筆よ、汝今我許を去らざる、べからざるか、吁、悲しひ哉、思へば汝の余に仕へし年月の永き事よ、汝が余に、買はれしは、今より五年前なりき。常時より汝は余が習畫に於ける無二の友の一人なりしに今や早くも汝と別れざる可からざるか。
或時は余が旅行中寫生せし折、汝が水を含めるの甚だ多き爲め、ワツトマン紙の他の部分に流れ渡りし時など、短氣なる余は汝に罪なきを思はで、強く、汝を寫生箱中に投けすてたる時もありき、北風凛乎として水凍る冬の頃には、恰かも、するどき錐の如くなりぬれど、尚汝は其天職を忘れずに、自己の身をくだきて余に仕へたりしこと甚だ大なりき、けれど、汝哀れなる廢筆よ。思え、花にも風あるを、榮枯又盛衰は此社會の常なるを、思へ汝も今は年すでに甚だ老いて、頭髪少なくなりければ、今日の日まで、共々に余に、志勤なりし他の畫筆、及び鉛筆などに惜しき袂を別ち、永くすみなれし余が寫生箱の中より立ち去るべき身とはなりしぞ遺憾なれ、ささらば、余は最愛なる、汝と共に別れんとするに際し余は今迄汝より得たる教訓を少しく語らんと欲す、そも此天地間ありとあらゆる物何ものか其各自つくす可き天職なからんや、例せば花の人目を樂みましむるが如きも、その道をまもり、散るべき時には散るが如く、よく汝が畫筆たるの天職をつくし神より受けしす★ての職務を果し、而して今やその道に斃る、これぞ即ち汝が其天職をつくしたるものにして甚だ尊ぶべき事なるぞ、吁然るに、汝が主人公たる余は、未だに自己の天職義務の一片をもつくし得たるや否や、余未だ一として人に語うが如き、又自から慰むるが如き功なし之れ豈汝の主人公たる余が、汝に對して、深く恥ずるる事共なり。